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2008年11月

「からすの北斗七星」

【話】烏と山烏の戦争の話。烏の大尉は許嫁に戦死?した場合は他へ嫁いでくれと言う。許嫁は、あんまりだ、かあぉ、かあぉ、かあぉ、かあぉと泣き出す。大尉は娘烏に丈夫でいるんだぞと言いおいて戦地に行き、山烏と戦う。

そして、大尉が

「報告、きょうあけがた、セビラの峠の上に敵艦の碇泊をみとめましたので、本艦隊はただちに出動、撃沈いたしました。わが軍死者なし。報告終わりっ。」と報告すると大監督は喜び、大尉から少佐に進級させた。

少佐になった烏は、敵の山烏が空腹の為、山から出てきたところを19隻で囲んで殺した。そのことを思い出して涙した。

敵の死骸を葬ることを願い出、許可を得た。マジエル様と呼ぶ「からすの北斗七星」を仰ぎ見た。

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【所感】烏の大尉がマジエルの星を仰ぎ見ながら言う言葉と、祈りは胸を打ちます。同じ仲間の山烏との戦いに、どちらが勝った方がいいのかわからないと言い、そして、憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますようにと、祈ります。

戦争と言う痛ましい話を烏の鳴き声で和らげて、滑稽に感じさせています。風刺の精神と言われる所以かも知れません。

賢治の生きた時代は小林多喜二に象徴されるような社会主義や労働運動が高まった時期でもあり、弾圧された時期でもあった筈です。「からすの北斗七星」は戦争批判の話にもなっています。童話であるが故、売れなかった作家故、賢治のトランクの中でひっそりと生き延びたのでしょうか。

でも、戦争は今も世界のどこかで続いています。

ポプラポケット文庫「注文の多い料理店」の中から。

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「スイミー」

Suimi ちいさな かしこい さかなの はなし レオ=レオニ 訳:谷川俊太郎 好学社

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【話】みんな赤い色をした小さな魚の中に、一匹だけ真黒な色をした小さい魚がいた。でも、泳ぐのは誰よりも速かった。名前はスイミー。ある日、大きなまぐろが、小さな赤い魚たちを、一ぴき残らず飲み込んでしまた。逃げたのはスイミーだけ。それから、スイミーは、海の中を泳ぎ続け、そして、やっと自分とおなじ小さな魚たちと出会う。けれど、大きな魚に食べられることを恐れていて岩陰から出ようとしなかった。スイミーは、小さな魚がいっしょに泳げば大きな魚に見えることを教えた。まとまって泳げるようになったとき、スイミーは目の役割をして、光の海の中を自由に泳いだ。そして、大きい魚を追い出すことに成功する。

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【所感】小さな魚でも団結すれば大きな魚に立ち向かえるという発想こそ作者の意図していたこと。

レオ・レオニは1910年にオランダのアムステルダムで生まれています。そしてイタリアで結婚。ユダヤ系の彼は1939年、反ファシズムの運動家になった為、身の危険を感じて、アメリカに一時亡命します。

1962年再びイタリアに帰国して、翌年1963年に『スイミー』を発表しています。

1969年発行

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「じぶんだけの いろ」

Jibunn いろいろ さがした カメレオンの はなし レオ=レオニ 訳 谷川俊太郎 好学社

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【話】カメレオンは、他の動物のように、自分の色を持ちたいと思っていた。葉っぱの上で暮らしたらいつまでも緑色でいられると考えた。そして、いちばんの緑色の葉っぱによじ登り喜んでいた。けれど、葉っぱは、四季ごとに色が変わった。冬の風が葉っぱの上にいるカメレオンごと吹き飛ばしてしまった。カメレオンは長い冬の夜は真っ黒に。春になって、年上の賢いカメレオンに出合って、いっしょに暮らすことに。共に同じ色に変わっていった。

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【所感】季節ごとに葉っぱの色が変わることを知らなかったカメレオン。彼の気持ちを考えたら、笑う場面ではないのですが。何故か、可笑しいのです。そこで、自分も気がついたようなものでしたから。

カメレオンは、同じ仲間の先輩に、「ぼくらは どうしても じぶんのいろを もてないんだろうか?」と尋ねます。「ざんねんながらね、」と答えるんですけどね。

この場面でちょっと考えさせられました。相手の嘆きを否定していないんですね。作者の云う賢いは、この答え方に込められていると思いました。

共に、一緒にくらすことを提案します。カメレオンにしかできない色の変化を楽しみます。だから、ラストの言葉は“めでたし めでたし”となっています。さすがです。絵もわかりやすく楽しいです。

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「さかなは さかな」

Sakana2 かえるの まねした さかなのはなし 作/レオ=レオニ 訳/谷川俊太郎 好学社

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【話】おたまじゃくしと小さな魚は仲良し。そのおたまじゃくしが蛙になって、どこかへ行ってしまった。大きくなった魚は何日も友達の蛙のことを思っていた。

ある日、蛙が池に戻ってきた。蛙は魚に世の中(陸)で見てきた動物の話をした。魚は興味津々、そして見たことのない鳥や牛や人間を想像した。蛙が行ってしまうと、魚は決心して、水の中からジャンンプして岸にあがった。乾いて温かい草の上で魚は息も動くこともできずに喘いだ。「たすけて。」

その時、運よく蛙が見つけて池へ押し戻してくれた。水の中で魚は気持ちよく自由に泳ぎながら、この世界こそ、どんな世界より美しい世界だと思った。睡蓮の葉の上にいる蛙に向かって、君の言った通りだよ。「さかなは さかなさ。」と彼は言った。

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【所感】蛙の説明から魚が想像する鳥や牝牛や人間の絵を見て思わず笑ってしまいます。そして、妙に納得もできるのです。背景になる池、木、陸、水草、睡蓮などの抑えた色使いは、魚の住む環境が穏やかに映って見えました。また、魚が陸にあがろうと決心する言葉“なにがおころうと ぼくもよのなかをみてやるんだ”から、並々ならぬ一大決心であることを伺わせています。

蛙に助けてもらった魚の悟り方も、実に鮮やか。「さかなは さかな」と云う言葉にも好感が持てます。純朴で勇気のある魚に、微笑みたくなる、そんな絵本でした。

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「からすのパンやさん」

Karasu2 絵と文 加古里子 偕成社 19739月1刷 19942157

14年前の発行で既に157刷、今尚、人気のある絵本。

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【話】カラスのパン屋さんの家に四羽の赤ちゃんが生まれて、大忙し。おかげで、パンを焦がしたり、半焼きだったりして、とうとうお客さんが来なくなってしまった。売れなくなったパン屋さんが評判の立派なお店になるまで、大勢のカラス総動員のてんやわんやの物語。

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【所感】この絵本に出てくるパンがおいしそう。そして、何十種類のパン。小さいイラストのパンの中に、テレビパン、とんかちパン、のこぎりパン、じどうしゃパン、やかんパン、ひこうきパン等々。

可笑しな絵はまだまだ、パン屋さんに押し寄せるカラスの大群の表情とスタイル。日本髪に着物を着たカラス、また髭のあるカラス、お婆さんのカラス等々。子どもと一緒に探しても面白いと思います。

<あとがき>を読みますと、モイセーエフ舞踊団(ソビエト時代)の組曲「バルチザン」の民族舞踊をご覧になったのでしょうか。そこに登場する兵士、農民、労働者、老若男女の一人ひとりの人物描写に心打たれたと記載されてあります。モイセーエフから学んだことをカラスの一羽一羽に試みたそうです。

戦争で見る群衆や兵隊の大軍を、平和な情景に切り替えた加古里子氏の絵に感歎しました。

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「やっぱりおおかみ」

Yappari ささき まき さく・え 福音館書店 1973101日発行

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【話】ひとりぼっちだけ生き残った子供の狼は、仲間を探しに毎日うろつき、沢山いる兎の街角にやってきた。狼が話しかけると(活字なし)兎は逃げてしまう。この時、1番目の【け】が口から出る。2番目は豚が避けて行った時。3番目は狼らしく悪さをして、小さくなったバルーンを眺めた時。やっぱり狼らしく生きることにしたら気が楽になったという話。

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【所感】狼が口にした言葉【け】の意味は<ちぇ>に相当すると思いますが、それでは何とも子どもに見せる絵本としては相応しくありません。ところが、【け】を使ったことで、ニュアンスが違っています。狼に同情もできますし、親しみすら感じますから、不思議ですね。

また、影絵のような狼の絵は孤独なイメージを際立たせています。折角、自分はみんなと仲良くしたかったのに、狼は怖いと避けられてしまったのですから。だったらそれでいいと。

開き直ったのでしょうか。バルーンの紐を切って??狼らしく実行してみたら、気持が楽になったと云うのですから

文字の少ない、絵で読ませる絵本です。佐々木マキさんは因みに男性です。それも雑誌「ガロ」にも顔を出していたそうです。「ガロ」と云えば白土三平氏の「カムイ伝」と水木しげる氏の漫画が一番記憶に残っていますけど。でも、佐々木マキさんもその頃から絵を描き続けていたんですね。だからというわけではありませんが、「やっぱりおおかみ」は人生訓にもとれました。

自分らしく生きてみたらと。

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「鹿踊りのはじまり」(ししおどり)

Sika 宮沢賢治・作 たかしたかこ・絵  偕成社 199421刷 199737

岩手・花巻周辺に今も伝わる郷土芸能「鹿踊り」その本当の精神を風から聞いたとして話が始まります。

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【話】ある時、嘉十(かじゅう)は、栗の木から落ちて、膝を痛めた為、天気のいい日に、湯治に出かけた。

その途中、すすきの原で休み、栃と粟との団子を食べ、残りの栃の団子は鹿にと、白い花の下に置いて、再び歩きだした。

ところが、手拭いを忘れたことに気が付き、急いで引っ返した。そこで嘉十が見たのは、手拭いを囲んでいる六疋の鹿たちだった。

鹿は、狐が食べ物に口発破(ダイナマイト)をしかけられて、捕まったことを知っていた。

手拭いにも、何か仕掛けられていないか、おそるおそる一疋ずつ調べ始め、最後の六疋目の鹿がやっとその手拭いをくわえて戻ってきた。

鹿たちの喜びは歌となり、その歌に合わせて踊りだした。栃の団子も一番はじめに手拭いに進んだ鹿から、一口ずつ食べた。六疋目の鹿はやっと豆粒くらい食べただけだった。・・・・・・・。

“それから、そうそう、苔の野原の夕陽の中で、わたくしはこのはなしをすきとおった秋の風から聞いたのです。”と、締めくくってありました。

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【所感】すきとおった風は、自然もきれいでないと吹かないでしょうね。また、口発破の仕掛けも栃の団子も人間がもたらしたもの。それでも鹿は「のはらのまん中の めっけもの」と歌いながら跳ねて踊る大らかさがあります。

自然と動物が共に生きてきた喜びが郷土芸能「鹿踊り」になってきたのだと。賢治のいう「本当の精神」とは何でしょう。*「農民芸術概論綱要」の序論にこんな言葉がありました。

”・・世界ぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。・・”

農民芸術の興隆では

”・・芸術をもてあの灰色の労働を燃やせ ここにはわれらの不断の潔く楽しい創造がある 都人よ 来ってわれらに交じれ 世界よ 他愛なきわれらを容れよ”

と。考えてみれば芸術のもとになっているのは、この郷土芸能なのかもしれませんね。そこで生きた人々の息吹きがなければ生まれなかったのだから。

絵はケント紙にパステルと色鉛筆の混合技法で描かれたそうです。やわらかな色あいは人も風景も鹿もみなあたたかい。心も穏やかになります。

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*『宮澤賢治・高村光太郎集』現代日本文学体系27 筑摩書房 

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「ビュンビュンきしゃをぬく」

Byunn バージニア・リー・バートン絵 アーナ・ボンタン&ジャック・コンロイ文 ふしみみさお訳 岩波書店 2004922日 第1刷発行 

絵本のタイトルの上に、バージニア・リー・バートン(1909年~68年)の名前が。「ちいさいおうち」「せいめいのれきし」等で、日本では、今なお人気のあるバートン

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【話】主人公はドッグレース等でも活躍するハウンド犬、名前はビュンビュン。子犬の時から育てた男の名前はゴウゴウと云う。火夫として鉄道から鉄道へ渡り歩いてきた。この日、ゴウゴウはビュンビュンと一緒に駅長室に。

犬と一緒なら雇えないと断られてしまう。ビュンビュンは汽車に乗るわけでなく、汽車のわきを走るだけだと必死に説明するが・・・。

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【所感】駅長さんは、見た目からして骨と皮ばかりの老いぼれ犬が貨物よりはやく走るなんて、あり得ないと。二人の意地の張り合いが、とんでもないことに。ビュンビュンは貨物→普通列車→急行列車→超特急へ次々とレースをする羽目に。町中の人は大騒ぎ。

あばら骨の見えるビュンビュンを表と裏の見開きいっぱいに、活き活きと描き、煙を吐きながら走る汽車はカーブを描いた線路で、躍動感のある絵に、きっと満足するでしょう。

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「やまなし」

宮沢賢治 作  安藤徳香 絵  ベネッセ 1986515日初版発行 19963158刷発行

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【話】二匹の蟹の子供らが青じろい水の底で話していた。小さい蟹がクラムボンの死んだことを繰り返し言う。鉄色に変に底光りしている魚は蟹たちにとって脅威の存在。尖った鳥のくちばしに捕まってしまう光景をまのあたりに見て怯えた。兄さん蟹はお父さんに、魚はどこへ行ったかと尋ねると“魚かい。魚はこわい所へ行った。”と、答えた。子供たちの上を泡と一緒に白い樺の花びらが流れて・・・・。底の景色も夏から秋の間に変わり、蟹の父と子も生きていた。水の中は恐ろしいことばかりでなく、熟した果物(やまなし)が落ちてくるのです。ドブンと。

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【所感】クラムボンが死んだことの衝撃が読む者にも伝わってきます。そのクラムボンが小さな蟹たちの家族なのか、知り合いなのかは一切記載されていません。いろいろ論議されているようですが・・

この童話も賢治の言葉が活き活きとして語られています。死の恐怖と生きる喜びを二枚の幻燈に映した物語になっています。安藤徳香さんは絵でそれを表現しきったと言っていい程、素晴らしい。

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「としょかんライオン」

Tosyo1_3 ミシェル・ヌードセン さく ケビン・ホークス え 福本友美子 やく 岩崎書店 2007420日 第1刷発行

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【話】ある日、図書館にに ライオンが 入って来た。行ったところは絵本の部屋でした。ライオンは図書館のきまりなど知りません。そのきまりを守れない事態が起きてしまった。ライオンは、今まで一度も出したことのない大きな声・・・・。うおおおおおおおお!・・・・と叫んだ。

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【所感】図書館の規則をライオンでさえ守ることに。子どもに与えるインパクトは大きいでしょうね。人も背景もとても綺麗です。やさしいライオンの表情に心も和んできます。

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「よだかの星」

宮沢賢治 作 工藤甲人 絵 ベネッセ 1984年11月25日初版発行 1998年4月30日9刷発行

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【話】よだかはあの美しいかわせみや蜂すずめと兄弟でした。けれど鷹と同じように羽が強くて、風を切って翔けるときなどは、まるで鷹のように見えたことと、もう一つは鳴き声がするどかった為に「たか」という名がついてしまった。しかし、それ以外は鷹とは似ても似つかない位みすぼらしかった。他の鳥からも疎まれ、小さい鳥にまで悪口を言われていた。

鷹もよだかの顔さえ見れば名前を変えるように強要した。「市蔵」と書いた札を首にぶら下げて、みんなに披露するように、それも明後日の朝までにと期限までつけた。もし、それをしなかったらつかみ殺すと脅された。

よだかは、今まで何も悪いことをしたことがなかった。赤ん坊のめじろが巣から落ちていた時は、巣に戻してあげたのに、盗人みたいに扱われた。それに、今度は市蔵だなんて・・辛い話だなあと嘆いた。それでも、まだ、心に幾らかの余裕はあった。

あたりが薄暗くなってきた頃、よだかはいつものように、えさを求めて巣から飛び出した。口を大きく開いて羽を真っ直ぐに張って、まるで矢のように空を横切ると、小さな羽虫は幾匹も幾匹も喉に入ってきた。次に、一匹の甲虫が喉に入ると喉をひっかいてばたばたしたので無理に飲み込んだ。

その時、急に胸がどきっとして、よだかは大声をあげて泣き出した。泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐった。・・・・

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【所感】よだかは既にたくさんの羽虫やかぶとむしを殺して食べていたことに気づきます。弟のかわせみに別れをつげるときに言った言葉は、”いたずらにお魚をとらないように頼みます。”と。賢治は生きるために、仕方がない殺生を認めつつ、必要以上に殺さないで欲しいと、何度も繰り返し訴えています。よだかは、自分が殺される境地になって初めて自分の殺生の恐ろしさで泣きました。

昇天して星になることを望んだけれど、どの星も相手にしてくれません。自らどこまでも空高く昇って行く時、寒さや霜がまるで剣のようによだかを刺したのです。その痛さに耐えた時、よだかは星になれたのです。澄んだ夜空に今もよだかの星は燃え続けているそうです。胸の痛くなるお話でした。

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宮沢賢治の22歳までの年譜

<宮沢賢治の年譜>

1896年:明治29827岩手県稗貫郡里川口村川口町(現在の花巻市豊沢)に、長男として生まれる。家業は質・古着商であった。

1902年:(6歳)9月下旬、赤痢にかかり、隔離病舎に収容され2週間入院。このとき看病中の父に感染、大腸カタルを起こし、以後内臓が弱くなる。

1903年:(7歳)4月、町立花巻川口尋常高等小学校(後、花城と改名)に入学。

1909年:(13歳)4月、県立盛岡中学校に入学。

1911年:(15歳)中学の先輩石川啄木歌集『一握の砂』の発刊に刺激を受け賢治も制作をはじめる。北原白秋の影響もみられる独特の感覚も表れている。

1914年」:(18歳)3月、盛岡中学を卒業。4月、岩手病院で肥厚性鼻炎の手術を受けたが、発疹チフスの疑いがもたれた。父は看病中倒れ、父子ベッドをならべる。この二度のやっかいが、負目意識としてつづいた。入院中看護婦にあこがれ、父に結婚の許可をもとめて退けられる。5月末退院したが、失恋や家業の嫌悪や進学見込みもないことからノイローゼ状態となる。父は前途をうれい、希望した盛岡高等農林学校の受験をゆるす。おりから父へ送られていた島地大等編『漢和対照妙法蓮華経』を読んで感動し、心機一転、受験勉強に励む。

1915年:(19歳)4月、盛岡高等農林学校農学科2部(農芸化学科)に入学、寄宿舎に入る。中学時代とことなり勉学につとめ、近郊の山々に鉱物をもとめ、短歌の制作を行う。10月級長を命ぜられる。

1916年:(20歳)3月、特待生となる。『家長制度』を書き、校友会会報に短歌29首発表。

1917年:(21歳)3月、校友会会報に短歌『雲ひくき峠等』14首発表。4月、弟清六と盛岡市内に下宿。この年、同人雑誌「アザリア」第1号を発行し、短歌と併行して短編習作が目立ってくる。

1918年:(22歳)大正73月、盛岡高等農林学校を卒業したが、地質研究生として残る。8月、童話『蜘蛛となめくじ狸』『双子の星』を弟妹によみきかせる。12月、妹トシ(日本女子大生)の病気看護のため、母とともに上京。

賢治が童話を書き始めたとされる22歳までの履歴を年代順に掲載。ポプラポケット文庫の巻末より、主な所を抜粋させて頂きました。詳しくは↓で。

Tyuu4 「注文の多い料理店」著 宮沢賢治 ポプラ社 200510月第1刷 20067月第4刷 

⇒「どんぐりと山ねこ」、「狼森と笊森、盗森」、「注文の多い料理店」、「からすの北斗七星」、「水仙月の四日」、「山男の四月」、「かしばやしの夜」、「月夜のでんしんばしら」、「鹿踊りのはじまり」等の9話が収録されています。

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「双子の星」

Hutago1 宮沢賢治・作 遠山繁年・絵 偕成社 1987111刷 1998218

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【話】主人公は天の川の西の岸の水精(すいしょう)のお宮に住んでいる双子の星、チュンセ童子とポウセ童子。空の星巡りの歌に合わせて一晩銀笛を吹くのが双子の星たちの役目でした。

その双子の星の前で大烏(おおがらす)の星と蠍星(さそりぼし)が喧嘩をして、どちらも深傷を負った。その傷の手当てを懸命に介抱し、自分たちの役目を果たせなかったら流されてしまう双子の星。その身を顧みず、大きな烏と大きな蠍を助ける。

その双子の星は、箒星に騙されて海へ落とされた。海の底でヒトデに、新米のヒトデ、ほやほやの悪党とまで罵られても、めげずに「さよなら、王様。また天上の皆様。おさかえを祈ります。」と、どこまでも健気。そして、今度は鯨に出合いい・・・・・。

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【所感】この作品は賢治の最初期の作品だそうです。絵にもやさしさを感じます。双子の星のように。

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「狼森と笊森、盗森」

Oinomori 宮沢賢治 作 村上 勉 絵 偕成社 1996111刷発行

岩手県に実在する森なんだそうです。名前にちなんで賢治が民話風に書いた童話です。

と、云うことは、狼森(オイノもり)は、差詰め狼がいる森と云うことになり、そして、笊森(ざるもり)は笊があり、盗森(ぬすともり)は盗人がいると云うことになります。

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【話】小岩井農場の北に、黒い松の森が四つあった。南に狼森、次に笊森、その次に黒坂森があり、北のはずれは盗森。この四つの森に囲まれた小さな野原に農民たちがやってきた。彼らはこの地を開拓すれば暮らせると思った。その前に森に向かって「ここへ畑起こしていいかあ。」と叫ぶと、森も一斉に「いいぞお。」と答えます。そして、家も建てていいか、火もたいていいかと暮らすために必要なことを、森に向かって叫ぶと、森も「ようし。」「いいぞ。」と木霊のように返えって来た。春になって、小屋が二つになって、種まきをして、蕎麦、稗、お米まで取れるようになって、新しい畑もふえた。小屋が三つになったときは嬉しくてみんなはねた。ところが、土の堅く凍った朝、小さな四人の子どもが夜の間に見えなくなってしまった。一番近い狼森へ探しに行った。・・・。

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【所感】「雪渡り」と同じように明るく、ユーモラスな作品です。村上氏の描く山々、登場する人物、動物、すべてが活き活きとして、お話がより面白く感じます。

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「雪渡り」

Yukiwa1_2 宮沢賢治・作 たかしたかこ・絵 偕成社 199061刷 1998120

“雪がすっかり凍って大理石より堅くなり、空も冷たい滑らかな青い石の板で出来ているらしいのです。「堅雪かんこ、しみ雪しんこ。」お日様がまっ白に燃えて百合の匂いを撒きちらし、また、雪をぎらぎら照らしました。「堅雪かんこ、凍み雪しんこ。」四郎とかん子とは小さな雪沓をはいてキックキックキック、野原に出ました。”

このお話の出だしの文です。このまま書いていたら引用文が止まらなくなりそうです。二人の子どもと白い狐の子の出会いから、言葉がリズミカルなんですね。四郎と妹のかん子は狐小学校の幻燈会に招待されます。狐の悪い評判を無くすための幻燈会でした。写真がうつるたびにキックキックトントンと歌います。

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キックキックトントン、キックキックトントン。

「ひるはかんかん日のひかり よるはツンツン月あかり 

たとえからだを、さかれても 狐の生徒はうそ言うな。」

キックキックトントン、・・・・・・・・。

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賢治の動物を見る目はいつも優しい。絵も素敵でした。賢治の奏でるリズムに浮かれて、声を出して子どもに読んであげたらきっと喜ぶと思います。

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「どんぐりと山猫」

Donnguri_2  宮沢賢治 作 高野玲子 絵 偕成社 198921刷 199825刷 

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【話】山猫から一郎におかしな葉書が来た。面倒な裁判をするので来て欲しいという。

どんぐりの中で誰が一番偉いのか、どんぐりたちが口々に叫んで、蜂の巣をつついたような騒ぎを起こして困っていた。山猫はその状況を一郎に見せてどうしたらいいのかを訊いた。

一郎は”このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい”と山猫に教えた。

それを聞いた山猫もなるほどと頷き、どんぐりたちに申しわたした。どんぐりは、静まり返って固まってしまった。・・・・。

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【所感】頭のとがっていること、大きいこと、丸いことの自慢を言っていたどんぐりたちが、一斉に固まってしまったというのですから、馬鹿と言う意味を理解していたんですね。勿論、偉いと言う意味だって知っていたと思います。一郎の言葉で目が覚めたのでしょうね。馬鹿馬鹿しいことに。最後に山猫が一郎にまた来て欲しいと言います。その時の葉書の文句に「明日出頭すべし」と書いてもいいかと尋ねます。山猫も裁判長なんですから、当然と言えば当然な言葉なんですけど。一郎は断りますが後で、自分も偉いと言う言葉に拘っていたことに気がつきます。みんな誰もが偉い人になりたいんですね。

銅板画の絵本です。緻密な丁寧な描き方で楽しませてくれました。

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「なめとこ山の熊」

Nametoko 宮沢賢治 作 中村道雄 絵 偕成社 1986111刷 1997522

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【話】なめとこ山の熊の胆は腹痛や傷を治癒させる効果があることから、毛皮だけでなく調法されていた。熊捕りの名人淵沢小十郎は熊を捕って生計をたてていた。

畑はなし、木もお上のもの、里へ出ても誰も相手にしないから、他の仕事に就くこともできなかった。仕方なく猟師をしている。

生きていくために小十郎は熊を撃ち、熊は身を守るために人間を襲う。小十郎は、お互いの因果関係を嘆く。

そして、お互いに決着をつける時が来た。・・・・・・・。

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【所感】小十郎の熊への思い、また熊の小十郎への思いを淡々と冴え冴えと透き通る言葉で伝えています。

絵は中村道雄氏の組み木絵だそうです。新しい技法に楽しみも加わって、より味わい深い絵本になっています。

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