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2008年12月

アンデルセン「雪の女王」新装版

Yukino バーナデット 絵 ささきたづこ 訳 1999111日第1刷発行 西村書店

<はじめに>

悪魔が作った鏡を小鬼たちの手から地上へと滑り落ちてしまった。砂つぶより小さくなった鏡のかけらが世界中に飛び散った。そのかけらが目に入ると、その人はすべての物事を意地悪い目で見るようになり、そのかけらが心臓につきささると、心は氷のように冷えきってしまう。

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【話】大きい町に、ふたりの貧しい子どもが住んでいた。ふたりは、まるで兄妹のようになかよしで、男の子はカイ、女の子はゲルダといった。

ある時、ふたりが雪の中で跳ねまわっていると、突然、カイが叫び声をあげた。あの鏡のかけらが目に入り、心臓にまで刺さってしまった。すると、カイは一変し、ゲルダをおいて走り去ってしまった。

大きいそりを手に入れたカイは、雪の舞い散る中を物凄い速さで走った。カイの目の前で白い大きなそりがとまり、そりに乗っていた人が立ち上がった。白い毛皮は雪でできていて、すらりと高く、白く輝く美しい雪の女王だった。雪の女王はカイを乗せると空高く上り走り続けた。そして、北極の近くにある女王の城へと連れて行った。

ゲルダはカイがいつまでも帰って来ないので心配になり、町中をさがし回った。冬の間、泣いていたゲルダも春になって、新しい赤い靴を履いて外に出た。川べりまで行き、川に尋ねた。何も答えてくれなかった川の岸辺には舟が繋がれてあった。それに乗ってゲルダは赤い靴を川に投げた。この川がカイの所まで運んでくれるかも知れないと思った。

それから、ゲルダは、会う人々にカイの話をして、バラやカラスやトナカイに尋ねたりしてやっと極寒の地に辿り着く。

その時、ゲルダは靴もなく、手袋もなかった。そんなゲルダをさらに雪の兵隊が襲った。それにも負けず、城へと向かった。女王の城は百以上の大広間があり、オーロラの光に明るく照らされていた。そのまん中に、凍った湖があった。そこでカイはひとり座って、氷のかけらで遊んでいた。

ゲルダはカイを見つけると、しっかり抱きしめて「カイ!私のだいじなカイ!とうとう見つけたわ」と叫んだ。けれど、カイは冷えきった体のまま身動きしなかった。ゲルダの目からあつい涙がこぼれ、カイの胸に落ちた。涙は心臓にまでしみわたり、鏡のかけらを溶かした。するとカイは・・・・・・・・。

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【所感】この物語は映画、ドラマ、アニメ、まんがになったりしているのだそうです。と言ってどれも見てはいないのですが。少女のひたむきで無邪気な心は、山賊の娘も親切になり、フイン人の女も少女の力を見抜き、トナカイに雪の女王の国の近くまで送るように言いつけます。トナカイは走りに走って、別れの時は大粒の涙を流します。少女の一途な思いは、愛情物語としても感動させます。童話としては長編ですが、それを大型絵本にしたことで読み聞かせにも大丈夫。雪の女王として見られるのは絵本の表紙だけですが、この絵一枚だけでも女王らしさが伝わってきます。雪の女王として。

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「十二支のはじまり」「ね、うし、とら・・十二支のはなし」

Jyuunisi 「十二支のはじまり」

岩崎京子・文 二俣英五郎・画 教育画劇 初版19971110

昔、ある年の暮れ、神様は動物たちにおふれを出した。それは、正月の朝、一番早く御殿に来たものをその年の大将にするというのです。

「日本の民話えほん」シリーズの11番目として出版された絵本。このお話は割と知られていますね。ほぼ同じ内容で、他社からも、出版されています。絵も、文も書き手によって多少の違いはありますが。

Neusi 「ね、うし、とら・・十二支のはなし」

ドロシー・バン・ウォアコム ぶん エロール・ル・カイン え へんみ まさなお やく ほるぷ出版  初版19781215

中国の民話ですが、もともと日本の十二支も中国から伝わったものです。内容は、他の動物たちを支配できるものを決めるという話です。

どちらも如何にネズミが賢いかを表現したものです。読み比べてみると面白いです。ねずみ、うし、とら、うさぎ、たつ、へび、うま、ひつじ、さる、にわとり、いぬ、いのしし。

私は、この十二支を言う時、いつも「にわとり」で、躓いてしまいます。日本の民話にはネコがネズミに、うその日を教えられて、かみさまに笑われます。

”それいらい、ねこは ねずみを みると追いかけるように なったんだと。”

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「赤神と黒神」

Akagami ぶん・まつたに みよこ え・まるき いり 

ポプラ社<むかしむかし絵本>秋田の民話。

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【話】十和田の湖に一人の美しい機織りの女神が住んでいた。男鹿半島には鹿の群れを連れた笛の好きな赤神が住んでいた。そして、八甲田山のはるか遠くには龍飛の黒神が住んでいた。赤神と黒神の二人の男神に愛された女神。

お互いに「女神はわしのもの」「いや、おれのもの」と争うようになった。このとき、みちのくの神々は、津軽の岩木山に集まって、この神の戦を見物した。戦いは凄まじく、黒神の剣に切られた赤神は野山を血で赤く染めながら男鹿半島の岩穴へ逃れた。

女神は負けた赤神がかわいいといって後を追った。戦いに勝ったが女神はもういない。黒神は石のように重い足取りで津軽の龍飛へと帰った。やっとの思いで辿り着くと、湖を背に向けてどっかと腰をおろした。そして、ほっと溜息をついた。その溜息があまりにひどかったので大地はめりめりと音をたてて裂けてしまった。本州と北海道は離れて、津軽海峡ができた。 

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【所感】巻末の“『赤神と黒神』によせて“を読みますと、採集してきたのは瀬川拓男氏と記されてありました。瀬川氏とは松谷みよ子さんの元夫です。

粗野だが逞しい男性と、やさしい文学青年肌の男性。タイプの全く異なった二人の男性に愛された美しい女性。小説に出てくる登場人物みたいですね。

民話も松谷みよ子さんの手にかかると、文学になり、絵まで添えられると子どもたちにも読める絵本へと変化します。津軽海峡にまつわる神々の物語を知り、またひとつ豊かな気持ちになります。黒神の悲しさと潔さに心も奪われるかも。

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「くわずにょうぼう」

Kuwazu 稲田和子 再話 赤羽末吉 画 ≪こどものとも≫傑作集 福音館書店 19773月発行

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【話】昔、よく働いて飯を食わない女房が欲しいと思った男がいた。そして、その通りの女房をもらった。男はよく働いて飯も食わない女房を見て、蔵に米がはいりきれないほどたまると喜んでいた。ある日、男が蔵を開けてみると一杯あったはずの米俵がごっそり減っていた。

男は山へ行くふりをして天井から覗いた。すると、女房は蔵から米俵を出して大きな釜で炊き、ぜんぶ握った。それから、長い髪をほどいて頭のてっぺんにあった大きな口へ放り込んで食べてしまった。

男は驚き、がたがたと震えた。それでも、日が暮れると、知らん顔して女房に言った。一人暮らしがいいから出て行ってくれと。

これを聞いた女房は、大きな鬼婆になって「みたな、このやろう。おまえも くってやる」と男の首をつかんで、風呂桶に入れて頭の上にのせた。

山には鬼婆の家族が待っていた。「にんげん とってきたぞ。 ほうちょうはあるか、まないたも あるか」みんなを集めて桶をおろしたところ、中は空っぽだった。男が逃げたことを知り、鬼婆は怒りながら男の後を追った。男は今にも捕まりそうになったが・・・・。

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【所感】「くわずにょうぼう」に出てくる男は、奴隷のような女房を欲しがった。その女房が鬼婆だったから大変。にぎりめしをお手玉みたいに放り投げて「ほらくえ それくえ」と言って、けたけた笑うなんて痛快です。

それに、鬼婆だって、家族がいるんですよ。でも、男は人間の仲間ですし、それに、散々怖い思いをしたのですから、男が窮地に立たされた時は、応援するしかありません。そして、あわやと言う時、男の冷静な観察と知恵で命拾いします。

昔話に出てくる鬼は、いつも敵役なのですが、この鬼婆も怖いけど、どこか憎めない。それは、絵を描かれた赤羽末吉さん(19101990年)が鬼に愛着を持っていたからだろうと思います。絵本のもう一人の主役として、怖くても、親しみのある鬼を好んで描いていたように思います。

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ジス・イズ・ニューヨーク「This is New York」

Newyork ミロスラフ・サセック:著 松浦弥太郎:訳 ブルース・インターアクションズ初版発行200481

ジス・イズ・ニューヨーク」は、ニューヨーク・タイムズ誌の選定最優秀絵本賞を受賞し、アメリカ青少年クラブ児童文学最優秀賞を受賞しています。

1960年代の頃のニューヨーク市。エンパイヤ・ステイト・ビルディング、タイムズ・スクエア、自由の女神、ハドソン川の港に停泊している大きな船等々。

高度経済成長をして、総中流社会と言われた日本。新宿にある都庁をはじめ高層ビルも珍しくなくなりました。48年前に描かれた絵本の風景に憧れ目指してきた日本。

今、現在、金融危機の震源地がニューヨークと連日テレビで報道されています。その影響は世界中を駆け巡り、人々の暮らしを脅かし始めています。

近代国家で、何もかも世界一を誇っていた頃のアメリカを丹念に描いた美しい絵本です。

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「月夜のでんしんばしら」

Tukiyo 宮沢賢治 作 遠山繁年 絵 偕成社 第1198910

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【話】ある晩、恭一は鉄道線路の縁を歩いていた時、その晩は、線路の見まわりをする工夫にも、危険な汽車にも出会わなかった。月明かりの中を歩いて行くと、停車場のあかりが綺麗に見える所まで来た。そこはまるで大きなお城があるように思った。

突然、がたんとシグナルが下がった。すると、線路の左側でぐわあん、ぐわあんと唸っていた電信柱の列が大威張りでいっぺんに北の方へ歩き出した。

二本の柱がよろよろ倒れそうになると、後ろから来た元気のいい柱がどっちかが参っても一万五千人みんな責任があるんだぞと脅した。電信柱はまるで川の水のようにやって来た。その行軍を見ていた恭一に、指揮をとっていた総長のじいさんが声をかけた。

行軍を見たのなら仕方がないと言って恭一に握手を求めた。軽く握られただけでもビリリッときた。じいさんが、手帳を取り出して自慢話をしていた時、汽車が遠くに来るのを見た。

じいさんは慌てて進軍をやめさせた。電信柱の行軍はぴたりと止まって普段通りに戻った。汽車がごうとやって来た。機関車の石炭は真っ赤に燃えているのに、客車の窓はみんな真っ暗だった。するとじいさんは・・・・・・。

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【所感】鉄道線路から見える多くの電信柱から軍隊の行軍を連想した事にまず驚かれると思います。そして、その行軍の軍歌はリズミカルに「ドッテテドッテテ、ドッテテド、でんしんばしらの ぐんたいは はやさ せかいに たぐいなし。ドッテテドッテテ、・・・・。」と歌うのです。

はじめて電灯がついた頃のこと、電気に息をかければ消えると言った話は、子どもにも分かりやすいです。また、電信柱が疲れて、ひとりでも遅くなれば、針金が弛むという表現も想像できます。

電信柱の軍歌に籠められた言葉は、軍隊の厳しさを伝えています。ドッテテも繰り返せばリズムになりますけど、ドテって重い言葉ですよね。恭一の見た光景は、幻想かも知れませんが、伝えたかったことはリアルです。

絵は「双子の星」を描かれた遠山氏です。

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「土神と狐」

Tutigami 宮沢賢治=作 中村道雄=絵 偕成社 199412月発行

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【話】野原の、まん中には一本の綺麗な女の樺の木があった。この樺の木には二人の友達がいた。一人は谷地に住んでいる土神、もう一人は野原の南の方からやって来る茶色の狐。

土神は粗野で乱暴で、髪も着物もボロボロ、眼は赤く、いつも裸足で爪も黒く長かった。それに比べ、狐は、仕立ておろしの背広を着、赤革の靴を履いて、手には詩集と、上品な風であった。

花も力いっぱい咲いた頃、土神は腕を拱きながら、ゆっくり静かに歩き、樺の木の前に立ち、わからないことが多いと嘆いた。樺の木はなだめるつもりで「狐さんにでも聞いて見ましたらいかがでしょう。」と言ってしまった。

これを聞いた土神は、狐の悪口をありったけ言った。それでも、怒りがおさまらなかった。むしゃくしゃした気持ちを、祠(ほこら)の前を通る木樵に嫌がらせをして困らせた。

八月のある霧の深い晩、土神はいつの間にか、あの樺の木の方へ。ところが、霧の向こうから狐の声と樺の木のやさしい声が聞こえて来た。土神は胸を掻きむしり悶え、両手で耳を押さえ一目散に北の方へ走り去った。

秋になって、土神は意地の悪い性質もどこかへ行ってしまって上機嫌だった。両方とも嬉しくて話すのなら、本当はいいことなんだと思うことにした。心も軽く樺の木に、そのことを逐一話した。

そこへ、狐がやって来た。狐は土神を見ると顔色を変え、少し震えながら、約束した本を樺の木に渡した。そして、去ろうとした時、赤革の靴が草にキラッと光った。土神はそれにびっくりして我に返った。狐が肩をいからせて歩いているのを見て、もう我慢できないと狐の後を追った。・・・・・・・。

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【所感】校本「宮沢賢治全集」第八巻(筑摩書房)校異に、大変興味深い記述があります。

土神ときつねの題名の右方やや上寄りに、赤インクの大きな字で、

土神、・・・[休→退]職教授 

きつね、・・・貧なる詩人 

樺の木、・・・村娘

と書かれ、愚話よりもシナリオ風の物語、さらに物譚詩とも。

(綺麗な村娘に惹かれた二人の男、一人は退職教授、もう一人は貧なる詩人ということになりますね。)

嫉妬に悶え苦しむ土神も、気取った狐も、賢治自身のような気がしました。賢治の童話としては珍しい位、生の人間の激しい言葉を使っています。この物語を理解できる年齢は11歳以上の思春期の子どもからでしょうか。

絵は「なめとこ山の熊」をはじめ賢治の作品では、既に馴染みの組み木絵です。こちらも、かなり迫力のある絵になっています。

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賢者のおくりもの」

Kennjya オー・ヘンリー文 リスベート・ツヴェルガー画 

矢川澄子訳 冨山房1983年発行

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【話】若い夫婦、ジムとデラの生活は言語に絶するとまでいかないまでも、浮浪者狩りの警官隊にお目こぼしを願うのがやっとだった。その二人にも何より自慢にしている品物が二つあった。ひとつはジムの祖父から父へと、代々伝わってきた金時計。もうひとつはデラの栗色の長い美しい髪の毛。クリスマスの贈り物を買うために、ジムは金時計を売り、デラも長い髪の毛を切って売ってしまう。そして、お互いに買った贈り物は・・・・。

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【所感】“まぶねの中の幼な子イエスにおくりものをもたらした東方の賢者たちは、かしこい人々でした。―すばらしくかしこい人々でした。クリスマス・プレゼントの風習はここにはじまったのです。”

お互いの宝物を犠牲にしてしまったジムとデラは東方の賢者に比べたら、おろかで、愚の骨頂というべき人々です。と作者は断った上で、彼らの贈り物は最高で、実は賢かったのです。と、述べています。それを感じるのは読者自身だとも。

お互いに思う心、深い愛情をこんな形で表現した作家オー・ヘンリー。画家もそれに答えるかのように描いています。表紙はデラの髪を今にも切ろうとしている絵です。改めて読んで、絵を見て、ためいきをついてしまいました。

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