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2009年5月

*1988年:作家賞=アニー・M・G・シュミット

19111995年、オランダの南ベーフェラント島にあるカペレという町に、牧師の娘として生まれた。シュミットは、いろいろなジャンルの作品を手がけた。子どもと大人のための詩、舞台芸術の脚本、ミュージカル、子ども向けの物語、新聞のコラム、ラジオ・テレビ番組など。彼女の本はすべて、5歳から95歳までの読者を対象としている。彼女の祖国では「オランダ児童文学の女王」と呼ばれている。

Nekono 「ネコのミヌース」Minoes

アニー・MG・シュミット:作 カール・ホランダー:絵 西村由美:訳 徳間書店 2000630日 初版発行

キレンドールン新聞社で働く、若い記者のティベは編集長に呼ばれた。ニュースらしいニュース記事を書かなければ、“クビにする“とまで言われなかったが、ティベにはわかっていた。新聞記事には、戦争や殺人のことが、いつも掲載されていた。そこで、たまにはネコとか葉っぱの記事も楽しいだろうって。編集長は、別に、殺人や銀行強盗のことは書かなくてもいい、町の小さなニュースでいいんだと。

ティベは、今度こそニュースを書かなければと、町の中を歩きながら、あらゆる所に目を向けた。みどり広場まで来ると、そこで、ティベは不思議な若い女の人に出会った。「ネコのミヌース」だった。

ミヌースが、ティベの記事のために、町中のネコたちからニュースを集めることに。そのネコたちの動き、連携の素早さに目を見張る。おしゃべりネコたちは、あたかも井戸端会議のおばさんたちを彷彿させる。

シュミットのいう95歳までの読者と言うのは、決して誇張ではなかった。幅広い層の人たちに愛された作家と言うのも頷ける。「ネコのミヌース」は、海外で最も翻訳紹介されているという。

ミヌースはネコと人間を見事に演じきった役者みたいでした。登場人物は年齢不詳。

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*1990年:作家賞=トールモー・ハウゲン

1990年:作家賞=トールモー・ハウゲン

1945年、ノルウェーのトリシルに生まれる。オスロ大学でドイツ語、比較文学、美術史を専攻し、オスロにあるムンク美術館に数年間つとめた。その後、文筆に専念。

Yorunotori 「夜の鳥」

1975年に発表された作品で、日本では1982年山口卓文氏の訳によりに、旺文社より出版された。2003年に河出書房新社より再刊。

主人公は八歳のヨアキム少年、両親とアパートで三人暮らし。ヨアキムが学校から帰って、「パパーッ」と呼んでも返事がなかった。ヨアキムの父親は9月から中学校で教えるようになってから、僅か3日で休職した。精神科にかかり、医者は10月の半ばまで家で静かにしていたほうがいいと。母親は働きに出ていなかったが、父親は家にいる筈だった。部屋中を探してもいない。玄関口にもどってみると、木靴とウインドヤッケがなかった。この組み合わせはおかしい、近くても遠くでも行ける、何処でも行けると考えたヨアキムは、慌ててパパを探しに外へ出た。・・・・

Yoru2 「夜の鳥」の続編ともいえる「少年ヨアキム」(旺文社出版)「ヨアキム 夜の鳥2」(河出書房新社出版)は、4年後の1979年に発表。

前作同様、ヨアキムを取り囲む子どもの世界、いじめ、万引き、など、少年の外の現実を子どもらしい視点でシビアに詳細に語りながら、ファンタジーで登場する「夜の鳥」「魔女」などを導入させ、話の流れに淀みない。だが、やはり、神経を病んだ父親とヨアキムと母親の家族の物語である。

タイトルの「夜の鳥」は、ヨアキムの部屋の洋服ダンスから現れる。“赤い目のギラギラ光る、大きな黒い鳥たち”洋服ダンスの鍵を掛け忘れた時、鳥たちは、扉を押しあけて、“夜のような黒い翼を広げ、爪をふりたてる”そして、部屋中の鳥がヨアキムに襲いかかろうとする。ヒッチコック監督の映画「鳥」を想像させる不気味さ。ヨアキムの心の不安、恐怖が夜の鳥となって現れたとき、少年の心まで壊れてしまうのではと心配してしまった。

ヨアキムは、一見、どこにでもいる少年のようだが、実に、思慮深く、分析し推理をしながら行動に移す。その一方で子どもらしく、怖がったり、脅えたり、殴られたり、泣いたり、ずる休みだってする。そして、嫌なとき、すぐ○○のバカと独り言をいう。そのタイミングに思わず笑ってしまう。登場する子どもたちは個性豊かで、それぞれが問題ありなのだ。

この作品が書かれた1970年代のノルウェーのキャンパス内には、スーパーマーケットもあり、大学の隣には保育園もあり、学生寮には、家族向けの部屋もあったという。学生結婚は決して珍しいことではなかった。そんな背景で、若い夫婦が、ヨアキムが生まれたことで、自分たちの将来が崩れて行く。男は家族のために妥協できなかった。そして神経が病み、自分探しが始まる。女は、家族のために妥協し、すぐに仕事に着く。

この物語は、児童文学を踏まえて、やさしく、さりげなく、人間の誰でもが直面する不安と怒りをわかりやすく書いている。精神的に何度も危機にさらされる少年ヨアキムの成長を見るとき、ふと、年老いてゆく自分を見つめ、過去に思いを馳せた。

「夜の鳥」は、ノルウェー児童文学賞、続編「ヨアキム」は、ドイツ・ユーゲンバッハ賞を受賞している。

ハウゲンが務めていたムンク美術館↓

http://www.munch.museum.no/?id=&mid=&lang=en

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「はるかな島」

Harukana ダイアン・ホフマイアー 文 ジュード・ダリー 絵 片岡しのぶ 訳 光村教育図書 20081225日 第1刷発行

1510年、ポルトガルはインドのゴアを占領し、軍事力を補強する為に総督アルブケルケはロペスに任せて一旦帰国した。総督が再び戻った時は、ロペスは現地の人と親しくなっていた。総督は、ロペスの容姿が変わるほど拷問にかけた。ロペスは海に飛び込んで、絶海の孤島セントヘレナ島に着いた。この島に最初に住んだ人が、フェルナンド・ロペスといわれている。そのロペスの実話をもとに書かれた絵本。

絵も明るく、無駄のない整頓された絵を見ていると、寂しさも、厳しさも、孤独も感じない楽しい絵に見えます。

セントヘレナ島で、すぐ思い出すのは、やはりナポレオン1世でしょうか。彼が生まれたのは1769年、コルシカ島、またエルバ島に追放されていますね。でも、この島々はイタリア半島に近い島々です。

セントヘレナ島は絵本の文面によると、

“岩肌のむきだしの寂しい島。うねりにうねる大海原にぽつんと突き出たその島は、地球上のどこからも、はるかに、はるかに、遠かった”と書かれています。

ロペスが辿り着いたセントヘレナは、生きるための島でした。やがて、緑の多い島へと変えた。それから、およそ三百年後、ナポレオンはセントヘレナ島に幽閉され、病死したとも毒殺されたとも?

かつて、酷い拷問を受けて化け物のようになってしまったロペスが、セントヘレナで築いたのは幸福だった。その後も、流刑地の島として利用されたセントヘレナ。でも、ロペスにとっては自由の地だった。ナポレオンと共に、この絵本のフェルナンド・ロペスも記憶に留めておくことになるでしょう。

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*1992年:作家賞=ヴァージニア・ハミルトン

1967年、岩波書店で出版された「わたしは女王を見たか」はハミルトンの最初の作品です。訳されたのは鶴見俊輔氏です。ハミルトンがアフリカ系アメリカ人の民話を子どものために集めて書いた作品があります。

「人間だって空を飛べる」―アメリカ黒人民話集―

ヴァージニア・ハミルトン:語り・編 ディロン夫妻:絵 金関寿夫:訳 福音館書店 198931日発行

この民話集は、大きく四つに分けられ、タイトルのお話は四番目の“逃亡奴隷を運んでゆく、そのほか”の最後の五話に掲載されてあります。

ハミルトンの祖父がまだ子どもだったころ、アフリカから奴隷として母親と一緒にヴァージニア州に連れて来られた。祖父は、自由を求めて逃亡し、辿り着いた所がオハイオ州イエロースブリングスだった。その地でハミルトンは生まれた。(1936年~2002年)。ハミルトン自身が、この民話のように空を飛んで「自由」を得たのかも知れません。黒人民話の根底にあるのは、悲しみだそうです。それを、祖先の人々は、人間だって空を飛べると「希望」へと語り継いできたことは人間賛歌にほかならないとも。*国際アンデルセン賞

図書館で借りたのは大型版の本(絵本)です。文庫版でも出版されているみたいです。

Ninngenn

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*1994年:作家賞=まど みちお

まどみちお氏(本名:石田道雄)が1994年の*国際アンデルセン賞・作家賞を受賞した時は85歳というご高齢でした。その2年前には1200編の詩を収録した『まど・みちお全詩集』(伊藤英治編)を出版されています。

彼の名前が海外で知られるようになったきっかけは、日米同時出版された2ヶ国語詩集『どうぶつたち』(美智子皇后英訳)だったようです。美智子皇后が携わったことが話題にもなりました。

2003年新潮社より「まど・みちお画集 とおいところ」に描かれている絵は端正な抽象画と詩が掲載されています。

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「せんねん まんねん」

詩 まど・みちお 絵 柚木沙弥郎 理論社 2008年3月 第1刷発行

鶴は千年、亀は万年生きることから、長命できわめてめでたいことを祝う言葉として知られています。その「せんねん まんねん」の詩は「いのちのれきし」でした。

大地から太陽に向かって、まだ人間が誕生していなかったころから、あらゆる生き物は千年も万年も巡り巡って繋がって生きてきたことを小さな子どもにも理解できるように書いた詩。それに絵もまた、明るく、わかりやすく描かれています。

≪ぞうさん≫まど・みちお 子どもの歌102曲集より

「ぞうさん」

ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね

そうよ かあさんも ながいのよ

ぞうさん ぞうさん だれが すきなの

あのね かあさんが すきなのよ

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「やぎさん ゆうびん」

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しろやぎさんから おてがみ ついた

 

くろやぎさんたら よまずにたべた

 

しかたがないので おてがみ かいた

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さっきの おてがみ ごようじ なあに

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何れも作曲者は団 伊久磨氏です。

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*1996年:作家賞=ウーリー・オルレブ

1931年、ポーランドのワルシャワの裕福な医者の家に生まれたウーリー・オルレブ。幼いころは、自分の出自がユダヤ人であることを知らずに育った。第二次世界大戦がはじまり、町がドイツ軍に占領されると、ワルシャワの学校に通っていたウーリーは担任の先生から「君はユダヤ人だからもう学校に来てはいけない」と言われた。そのうえ、ポーランドの士官だった父親はロシア戦線に送られた。(その後、ロシアで捕虜になった。)母親とウーリーと弟の三人はゲットーで暮らすことになったが、ウーリーが11歳の時、母親はドイツ軍に殺害された。(著書:ぼくと弟のホロコースト「砂のゲーム」より)

Kabemati_2 「壁のむこうの街」訳:久米 穣 偕成社 19933月初版1

“わたしが住んでいたのは、ポーランドのワルシャワのゲットー。第二次世界大戦のあいだ、わたしはそこで暮らしていたのです。でも、この本では仮名の町、仮名の主人公ではなしをすすめていくことにします。わたしの物語の主人公のアレックスはユダヤ人で、戦争がはじまると、ドイツ軍の命令で、ゲットーにおしこめられました。”

壁のむこうの街はポーランド人街。アレックスは少年時代ウーリーの分身。フィクションの部分は、ドラマチックにするため?残酷さを程々に?迷惑が及ばないため?とあれこれ考えられますが、児童文学らしくするための脚色ではないでしょうか。アレックスの動きに、感心し、ハラハラし、驚き、感動します。子どもながら、生き様は見事です。

Kabenomu1 「壁のむこうから来た男」訳:母袋夏生 岩波書店 199577日第1刷発行

この作品もぐいぐい読ませます。14歳のマレクと義父のアントニーの活躍がとにかく凄い。

地下の下水道を通ってユダヤ人ゲットーに食料を届けて、家計のたしにしていた義父。その手伝いをすることになったマレクは、この仕事?を憎んだ。・・・。

ウーリー・オルレブは1945年、14歳の秋にイスラエルに渡り、しばらくキブツ(集団農場)で過ごしたのち、現在はエルサレムに在住。イスラエルを代表する児童文学作家のひとり。

*国際アンデルセン賞

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*1998年:作家賞=キャサリン・バターソン

キャサリン・バターソンの両親はアメリカ人でしたが、彼女が生まれた年、1932年には中国で、宣教師として赴任していた。日本軍が侵略してきたとき、一家はアメリカに戻り、バターソンはヴァージニア州で育った。それから1957年より4年間、布教のため、日本の四国に滞在。1985年に来日している。

代表作「テラビシアにかける橋」「海は知っていた」でニューベリー賞を受賞。その後1998年*国際アンデルセン賞を受賞。そして、2006年アストリッド・リンドグレーン記念文学賞を受賞。多くの読者を魅了してきたバターソン、二人の実子と二人の養女を育て、4人とも、巣立っている。バターソンには、いくつもの顔を持っている。ある時は教師を、ある時は牧師の妻、またある時は4人の母親、どんな小さな隙間でも、見逃さないで、活躍し続けている宣教師であり作家。

バターソンの多くの作品の中から、ひとりの少年が両親の辿った人生を、父の過去から探り当てていく「もうひとつの家族」を紹介します。

Mouhitotu キャサリン・バターソン:作 岡本浜江:訳 偕成社 19921刷 

タイトルの「もうひとつの家族」から、どんな家族を想像しますか?この物語は、そんな謎めいた問いかけから既に始まっています。主人公は11歳の男の子バーク。少年が知っている父親は母から聞いたことだけだった。

「だってさ、お父さんは、ぼくが生まれたときベトナムにいて、生まれたあとで帰ってきて、ぼくを見たんだよね。それなのに、なんでまたもどって殺されなきゃならなかったの?そこがわからないんだ。」・・・

「だってさ、ベトナムにはだれでも一年だけいくんだよ。だれだって知っているよ。それなのに、なんでぼくのお父さんだけ・・・・。」

このバークの言葉からわかるように、彼の疑問に母親は頑固なまでに答えようとしない。バークは父の親戚の誰も知らなかった。まだ会ったことのない祖父が、まだ生きていることを知ったバークは旅に。

彼の知らないもうひとつの家族を、驚いたり、恐れたり、しながら次第に受け入れて行く様子は、やさしく、あたたかい。少年の成長は人間としてのあるべき姿を描いたのかも知れません。・・・・・。

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*2000年:作家賞=アナ・マリア・マシャド(ブラジル)

「ジャガーにはなぜ もようがあるの?」ブラジルの民話の再話、絵:ジアン・カルビー 訳:ふくいしげき、ほるぷ出版 1983年。

「くろってかわいい」訳:もちづきひろあき、新世研 1987年。

邦訳されている作品は2冊???

1941年、リオデジャネイロで生まれ、大学でロマンス諸語の学位を取得。アメリカ、フランス、イタリアで勉強し、ジャーナリストや大学講師として活躍し、ブラジルでは書店を経営。さらに、ロンドンではBBCの仕事をし、・・・・。と経歴は華々しい。

彼女の作品は100点を超えると言いますから、日本で紹介されている本が少ないのは残念ですね。

参考文献:「国際アンデルセン賞の受賞者たち」

*国際アンデルセン賞

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*2002年:作家賞=エイダン・チェンバーズ(イギリス)

Ore 「おれの墓で踊れ」浅羽英子:訳 徳間書店 19971130日 初版発行

巻末の“日本の読者のみなさんへ”より

エイダン・チェンバーズ氏は、執筆開始から、仕上げて完全な形にするのに12年かかったという。最初の発想が浮かんだのは、1966年、ある新聞の記事を読んだときといいます。

“墓を損壊” 少年を起訴

「昨日、十六歳の少年が、墓荒らしの容疑でサウスエンド少年裁判所に起訴され、出廷した。・・・・略・・・。」

記事には、少年はただ、どちらかが死んだらもう一人が相手の墓の上で踊るという誓いを、友人と立てたからだと言うばかりと。だが、氏には、この二人の少年の間に何があったのか、わかった気がしたという。それを、どうしても、伝えたいと思ったのだと。小説の形に2度チャレンジし、テレビドラマ形式に1度と9年間、他の作品を書きながら、試行錯誤した結果、今の形になったのだと。そして、この本を書き終えたことで、人生の転機になったそうです。

さて、この小説ですが、16歳の少年ハルが海で事故にあった時、2歳年上のバリー・ゴーマンに助けてもらったことから、二人の付き合いが始まります。タイトル「おれの墓で踊れ」のおれはバリ、踊ったのはハル。十代の悲しい心模様をハルの手記から、法廷に任命されたソシアルワーカーのレポート等から、浮きぼりにさせていきます。大きな反響があったのは、お互いに死後まで愛を誓わせたことだったのでしょうか。それも二人の少年に。

*国際アンデルセン賞

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*2004年:作家賞=マーティン・ワッデル(アイルランド)

2004年の*国際アンデルセン賞:作家賞=マーティン・ワッデル

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http://www.yamaneko.org/bookdb/author/w/mwadde_j.htm

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1968年にイギリスで制作された映画「地獄のかけひき」(OTLEYオットリー)の原作者マーティン・ワッデルが一変して、自然の中で生きる動物を題材にした、「ちいくまくん」シリーズのようなやさしい子どもの絵本を書いています。その中でも、◆「はたらきもののあひるどん」は、ちょっと違います。アヒルのような弱い立場の人間でも、・・・という作者のメッセジーが込められた絵本のような気がします。

人間が出てくるのは、太った怠け者の、のらくらどんだけです。その他は健気なに働くあひるどん。そのあひるどんを見かねて、助ける動物たちに、めんどり、めうし、ひつじが登場します。

Hataraki ◆ヘレン・オクセンバリーの絵が、ユーモアに描かれ、お話も、より面白く感じます。 せな あいこ:やく 評論社19931130日初版発行 1994430日2刷発行

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*2006年:作家賞=マーガレット・マーヒー(ニュージーランド)

*国際アンデルセン賞の作家賞を受賞したマーガレット・マーヒーとは?

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http://www.kodomo.go.jp/resource/child/kg/bnum/ref/kaigai-ref28.html

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35歳から子ども向けの本を書き続けて、今年で38年。邦訳された本も多いですから、必ずどこの図書館でも何冊かは購入されていると思います。

日常的な題材から、あれよあれよとストリーに展開していく。それも愉快に、楽しく、ユーモアに。

数ある中から、ここではやはり絵本を取り上げたいと思います。

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「うちのペットはドラゴン」

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【話】ある所に、ベルサーキさん一家が住んでいた。その朝、お父さんは、お母さんに、仕事の帰りに息子のオーランドにペットを買ってきてと頼んだ。会社に遅刻しそうだったお父さんは、ペットどころではなかった。お母さんとつい言いあいをして出かけた。

会社の帰り道、ペットショップに寄ったお父さんが買ったのは”かわりだね おかいどく ドラゴン”だった。小さかったドラゴンはどんどん大きくなって、ついに庭で火や煙を吐くようになった。そんなある日、市長さんがドラゴンを見にやってきて、あなたたちは、ふつうの家族なんだから、ふつうのペットにしなさいと。そして、一週間のうちに売りなさいと。

はじめは文句を言っていたおかあさんもプンプン怒っていた。「この子をハンドバッグなんかにしてたまるもんですか!」と。お父さんも息子も、困っていた。その時、ドラゴンがみんなの方に向き、初めて言葉をしゃべった。

「じつは、ぼくもちょっぴりきゅうくつだったんだ。みんなのことは大すきなんだけど、・・・・・・

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【所感】文章の流れがとてもスムーズ。家族のやり取りにリズムがあり、読んでいて楽しいですね。ドラゴンの話すタイミングがいいですね。さすがと思いました。さて、この後の展開は楽しいことばかり。そして、ラストも、このお話を決着させています。絵も数々の賞を取っているヘレン・オクセバリーですから、贅沢なコンビの作品なのかもしれません。

2000年6月30日、徳間書店 初版発行 ヘレン・オクセバリー;絵 こやまなおこ:訳

Utinope

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*2008年:作家賞=ユルク・シュービガー(スイス)

Sekaiga 「世界がまだ若かったころ」

ユルク・シュービガー:作   哲学博士であり、作家兼心理セラピスト。1936年生まれ。

短編集より、もっと短い作品(掌編集)です。読みやすく、当たり前のことを、当たり前に答えているような文。ナンセンスなようで、まじめな文。思わず可笑しくなって一人で噴き出したりして。

例えば・・・・なまえ「ハンス、ハンスハンス、ハンスハンスハンス」から抜粋

”三人の息子がおりました。三人はまったく同じ様子をしていました。ひとりめはハンス、ふたりめはハンスハンス、三人めはハンスハンスハンス。三人が庭で遊んでいるとごはんになったので、三人合わせて呼びました。”

これだけで、もう、おわかりですよね。紛らわしい様子が。勿論、お父さんは新しい名前に変えましたけど。この話に姉妹編があるんですって。題名は「アンナ、アンナアンナ、アンナアンナアンナ」。

本の挿絵:ロートラウト・ズサンネ・ベルナー、訳;松島富美代 ほるぷ出版 2001年1月30日第1刷

*国際アンデルセン賞

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