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2009年6月

*1974年:作家賞=マリア・グリーペ

1923年、スウェーデンのストックホルム近郊の町ヴァスクホルムに生まれる。ストックホルム大学で文学と哲学を学んだ。1954年のデビュー以来、書き続けている。その作品群はファンタジーと現実的な物語に大別されているが、それは、全く切り離されたものではなく、どちらが主流になって書かれているかで二分されているようである。

1962年「ヒューゴとジョセフィーン」北国の虹の物語2、1964年「忘れ川をこえた子どもたち」(冨山房)―大久保貞子:訳。「夜のパパ」「夜のパパとユリアのひみつ」(ブッキング)―大久保貞子:訳。

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「忘れ川をこえた子どもたち」

マリア・グリーペ:作 大久保貞子:訳 ハラルド・グリーペ:絵 冨山房 1979年第1

この作品の原題は「ガラス職人の子どもたち」なのだそうで。これをもっと分かりやすくすると、“忘れ川をこえたガラス職人の子どもたち”ということになる。忘れ川という言葉が出てくるのは第二部の願いの町から。第一部は、ガラス職人のアルベルト一家の紹介。夫のアルベルト、妻のソフィア、子どもは、幼い姉のクララと弟のクラース。アルベルトの作るガラス器はこの上なく美しかったが、商売は下手だった。その為、生活にゆとりはなく、ソフィアも近くの農家へ出かけて働いた。夫はガラス作りに夢中のあまり、妻の気持ちを慮ることができなかった。そんなある晩、ソフィアは明かりもつけずに、窓辺で泣いていた。・・・・。

題名に出てくる子どもたちとは、クララとクラース。この二人の子どもたちの周囲の大人たちによって翻弄されるのですが、忘れ川をこえると、過去の生活を忘れて、何も思い出さない設定になっています。目の前にある現実を受け入れて動き回りますから、子どもたちが可哀想という感情移入する間がない。只、どうやってこの状況から脱出できるのかという点に興味を持つことになります。

さて、その周囲の大人たちの中で、ガラス職人の夫婦とエンスケスタード(願いの町)に聳え立つ館の領主夫婦の心の有様は、それぞれのアイデンティティー(identity)をぶつけて、子どもたちに答えを求めていくのですが。その牽引となっていくのも、また解決していくのもファンタステックに、・・・。

(参考:訳者のあとがきより)

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*1976年:作家賞=セシル・ボトカー

1927年、デンマークのフレデシアに生まれる。銀細工師として働きながら、1955年に大人向けの詩集を出している。その後、ボトカーの代表作「シーラスと黒い馬」は1967年に。以後シーラスのシリーズを長年にわたって書き続けている。今、現在は2001年の14巻が最も新しい。

評論社出版の初版を1981年から訳されている橘要一郎氏が、2007年に14巻「シーラス安らぎの時」を訳されている。その巻末のあとがきに、作家ボトカーさんも2007327日で満80歳になったことが記載されてあった。また、このシーラスの物語がこの14巻で完結させるかどうかは、原作者次第なのだという。でも、14巻は完結編と称してもいい内容にもなっているとも。

1、「シーラスと黒い馬」“舳先の角ばった、おかしな格好の小舟に乗って、その少年は川をくだってきた。・・身体は小舟の底に寝かせてある。・・遠くからは、どう見てもカラっぽの舟としかうつらない。”旅芸人の一座から逃げ出した少年シーラスの物語はここからはじまった。馬商人に出合い、ひょんなことで黒い馬を得た。この黒い馬と共に、シーラスは様々な人たちに出会う。

2、「シーラスとビン・ゴーヂック」3、「シーラスと四頭立ての馬車」4、「シーラスの家作り」等、等と14巻まである。

作家ボトカーは、“私がシーラスを好きなのは、自分の欠点を意識しているからなのでしょうか?”と自問自答しています。また、シーラスは作家の4人の曽祖父たちを全部合わせた人物だとか。それは、厳格な牧師であったり、発明家だったり、民間武装船長だったり、家族の歴史のことは何も知らない捨て子だったりと。そのどの人物も、シーラスの中で生きているということなのでしょう。

シーラスが少年から青年へと成長していく姿に、作者の言葉には嘘はなかったように思います。登場人物の多くは、貧困に喘ぐ人々や、社会から見捨てられた人々、障害を持つ子どもたちを描いています。

その人たちの動き、心理描写を、実にさらっと書いています。喉に引っかからない程度です。児童文学としての役割を果たしながら。

本の表紙はスベン・オットー(1978年:画家賞「クリスマスの絵本」)の絵でしたが、表紙に収まりきれなかったような気がして・・・。

Sirasu

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*1978年:作家賞=ポーラ・フォックス

1923年ニューヨークー市生まれ。アメリカ、キューバ、カナダ等で教育を受け、テレビの脚本を書き、教師やジャーナリストとしても活躍。最初の作品は1966年「モリスのたからもの」(清水真砂子:訳、大日本図書)をはじめとして、邦訳作品は1968年「きのうのぼくにさようなら」(掛川恭子:訳、あかね書房)1973年「どれい船にのって」(ホゥゴー政子:訳、福武書店)1984年「片目のねこ」(坂崎麻子:訳、ぬぷん児童図書出版)1993年「西風がふくとき」(清水奈緒子:訳、文研出版)1995年「イーグルカイト」(村田薫:訳、文渓堂)等がある。

「どれい船にのって」

ポーラ・フォックス:著 ホッゴー正子:訳 和泉賢一:絵 福武書店 1989年初版発行

フォックスの唯一の歴史小説とも言われている。嘗て、テレビドラマで放送された「ルーツ」の主人公、黒人少年クンタ・キンテが奴隷船に乗せられて、残酷な目に遭うシーンがあったが、それを、まざまざと思い出した。この「ルーツ」の原作者アレックス・ヘイリーがピューリッツアー賞を受賞したのは1976年である。そして、翌年にテレビドラマ化された。

フォックスの「どれい船にのって」は1973年に出版されている。主人公は白人少年ジェシ。ジェシも、突然、連れ去られ、気がついた時は船の上。ジェシは、奴隷船で起きている残酷な出来事をまるで内部告発するかのように、つぶさに語る。

ジェシは、普通の貧しい家庭の子ども。心が張り裂けそうに何度もなりながら耐えていく強さを持っていた。また、やさしい心も最後まで見失うことはなかった。

作者は、この重たいテーマを子どもたちにどうしたら理解させることができるか。それが、ジェシの質問形式だったのだろうと。この作品も、1974年にアメリカ児童文学ニューベリー賞を受賞している。

“かあさんにたのまれてお使いにでかけたぼくは、裏通りで二人のあらくれ男につかまってしまった。つれていかれたのは恐ろしいどれい船の上だった。・・・・”

<史実>

船名:月光号 高級船員:コーソン船長、ニコラス・スパーク航海士。 船員:ジェシ少年、その他の人々。船荷:奴隷:98名・・etc

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「くまとやまねこ」

Kunato 湯本香樹実ぶん 酒生駒子え 河出書房新社 2008年4月30日 初版発行

昨年の発売以来、今も人気のある絵本です。図書館では、いつも貸し出し中でしたから、いつかは見ることができるだろうと、ほぼ忘れかけていたのですが、一昨日、何気なく棚に置かれてありました。

ここで改めて紹介するまでもない位、多くの方が既に読まれていて、書評もたくさん寄せられているようです。また、作者自身のコメントも読むことができました。(アマゾン→)

くまとやまねこの情感溢れるシーンに、引き込まれて、自分と重ねた人も多かったのだろうと。作者が言うように、大事なものを失う喪失感は、自分自身の一部が死ぬことに等しいと。

”この絵本のなかのくまが、悲しみに閉じこもり、でもやがて外に出かけていったように、必ず死んでしまった自分自身の一部も、またよみがえる時がくるんだという”

みんながみんな、くまのように蘇るといいですね。また、作者のコメントから、誠実な人柄が偲ばれました。

酒井駒子さんには、いつも感心しています。時が悲しみを癒すという流れをモノクロで描き、くまの深い悲しみは、墨のような黒を全面的に使い、最後までが、モノクロトーン。けれど、やまねこのバイオリンの音色に目を閉じて、くまの心がやがて開き始めると、ほんの少しだけピンクの色がでてきます。絵本はやっぱり楽しいですね。

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*1980年:作家賞=ボフミル・ジーハ

ボフミル・ジーハ(19071987)は、まだ、オーストリア・ハンガリーの統治下に置かれていた南ボヘミア地方に生まれた。11年後の1918年には、チェコスロバキア共和国として独立。それも、当時の米国の憲法を手本にした西欧型民主主義国家として歩み始めたという。ところが、ナチス・ドイツの台頭に伴い、1939年にはドイツの保護領になっている。そんな国の歴史の中で、地方や町で教師をしていたボフミル・ジーハ。1956年には、プラハの国立児童図書出版所の所長になっている。

ジーハの子ども向けの作品は、やさしさでいっぱい。ビーテクはシリーズ三部作になっている。また挿絵も多く、ユーモアに描かれている。

1954年「ホンジークのたび」井出弘子、いぬいともこ:共訳 童心社、1973年「ビーテクのひとりたび」井出弘子:訳 童心社、等。

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参考文献:「世界各国現代史ダイジェスト」自由国民社 1995年第1刷発行

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*1982年:作家賞=リギア・ボシュンガ(ヌーネス)

1932年、ブラジル南部のベロタスに生まれ、その後、リオデジャネイロに移り、19歳の時、家を出て舞台女優として国内を巡業するようになった。また、ラジオやテレビ用の戯曲も書いていたという。

はじめて書いた子どもの本「仲間たち」がコンテストで賞をとり、1972年に出版された。その後も、1976年に「黄色いかばん」1978年「教母の家」1979年「綱渡り」1999年「手作り」と出版されている。

ラテン・アメリカの本は、子ども向きでも大人向きでも、その独特なマジック・リアリズムに特徴があるが、他の国々の文化がそれを受け入れるのは難しいと考えられているんだとか。それで邦訳されている作品がないのかも??

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*1984年:作家賞=クリスティーネ・ネストリンガー

1936年、オーストリア、ウィーンに生まれる。第二次世界大戦中の混乱の中で成長したという。その誘因の基をつくったとされるアドルフ・ヒトラーは、オーストリア出身。(1889年~1945年)ヒトラーはウィーンで画家を志し、美術大学を受験したが、二度とも受け入れて貰えなかった。8年後、ミュヘンに移住し、1932年、オーストリア国籍のままドイツ国籍を得た。やがて、ドイツの政治家に。19383月、オーストリアをドイツと併合させ、ヒトラーはオーストリアに行き、ウィーンや生まれ故郷で演説をしている。ヒトラー没後、1955年にオーストリア独立。

クリスティーネは、労働者階級の暮らす地域で社会主義者の娘として過ごしたという。そのクリスティーネが選んだ職業は作家やジャーナリストという文筆業だった。

1972年の「きゅうりの王さまやっつけろ」はドイツ児童図書賞を受賞し、また、1979年「みんなの幽霊ローザ」はオーストリア児童文学賞を受賞している。その他、多数の作品がある。また、邦訳作品も多い。

Konnrado 「コンラッド」

クリスティーネ・ネストリンガー:著 長谷川昌子:訳 創英社/三省堂書店 2001920日 初版発行

バーティ・バートロッティ夫人のもとに20キロもある郵便小包が届けられた。白い包装紙にくるまった大きな段ボール。思い当たるふしはなかったが、おじさんの30年分の誕生プレゼントかも知れないと、勝手に解釈。開けてびっくり仰天。缶の中にうずくまっていた謎の生物は口をきいた。「ハジメマシテ、オカーサン」度肝を抜かれたバートロッティ夫人の衝撃は並大抵ではなかった。出生証明書までついていた。出生日は19671023日、名前はコンラッド。

保護者各位・・・・・・・・当製品は従順で、扱い易く、問題なくご養育いただけることを保証致します。尚、最先端技術により開発された製品につき、生来の欠点というものは持ち合わせておりません。・・製品は日常の養育と保護だけでなく愛情を要する構造になっております。・・敬具。

◇これから始まる物語は、コンラッドを中心に、親子関係、子ども同士の付き合いといじめ、隣人たち。と、あらゆる人間関係を浮き彫りにさせていきます。それぞれが型にはまらない人たち。コンラッドは理想の子ども像?優等生で、言葉も丁寧、お行儀もいい。とにかく「いい子」なのです。

そんなある日、書留速達が届いた。品名「七才男児」は誤配によるもの、至急返送の用意をお願いしますと。近日中に回収をして、正規の注文主に渡すというのです。スリルとユーモアと教訓と、大人も子ども楽しめるお話になっています。

この本の狙いは、分かりませんが。もしかして、あのヒトラーのもとで養成された子どもたちを逆説的に描いたのだろうかと。それが、可能であること。

Kannzume_3   1975年「かんづめぼうやコンラート」1985年、佑学社 榊 直子:訳

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*1986年:作家賞=パトリシア・ライトソン

Misesu 1921年、オーストラリア、ニュー・サウス・ウェールズ州のリズモアで生まれ、シドニーで教育雑誌の編集長を勤めた経験の持ち主。代表作と言われている三部作1977年「氷の覇者」1978年「水の誘い」1981年「風の勇士」(渡辺南都子:訳・早川書房)はアボリジニの若者の英雄伝説を扱った作品。オーストラリア大陸の原住民アボリジニは、約5万年前から、自然に逆らわずに、自然と共に生きてきたという。

現代の近代国家オーストラリアは18世紀末から移住してきた「新しい人々」によって建設されたもの。ライトソンは、「古い人々」の口承による物語、神話や精霊たちに姿・形を与え、人間と環境をテーマーにした本を書き、発表した。

「ミセス・タッカーと小人ニムビン」

ライトソン:作 百々佑利子:訳 岩波書店 1986716日第1刷発行

ミセス・タッカーは180センチもあり、骨格もがっしりしていたが、がりがりに痩せていた。夫は亡くなっていたが、娘夫婦と孫娘がいた。ところが、「夕日が丘ハウス」老人ホームに入居させられていた。心配性の娘に内緒で密かに計画を立てた。老人ホームから逃げ出すことを。弟の遺してくれた隣の州にある開拓小屋に。それは、山の尾根のふもと近く、沼沢地を見おろす小高い台地に建てられた一軒家だった。

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その開拓小屋のはなれにある鶏舎には、地霊小人のニムビンが住んでいた。ニムビンは小さな精霊だったが、大昔からいる人間のように狩猟をしていた。その獲物は、ネズミ、トカゲ、虫などであった。原生林に囲まれた山々の大自然の中でずっと暮らしてきたニムビン。そんな奥地に、ミセス・タッカーと犬のヘクターがやって来た。・・・・・・。

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物語の大半は自然描写ではなかっただろうか?そこで生きる鳥や虫や生き物たち、様々な木や花々、舞台となったタスマン海の大陸東海岸も、ほとんど何も知らない。それが、一向、苦にならなかった。勝手に、想像しながら読むことができた。何しろ、おばあさんの行動力に圧倒されて。太古の精霊の小人ニムビンは、自然そのもの。その自然と悪戦苦闘を繰り広げる物語。最後までハラハラさせられました。

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五味太郎「もりにいちばができる」

Morini 玉川大学出版部 ”経済の基本をわかりやすく説く、楽しみながら学べる”

(economy)人間の共同生活の基礎をなす財・サービスの生産・分配・消費の行為・過程、並びにそれを通じて形成される人と人の社会関係の総体。転じて、金銭のやりくり。ー辞典よりー

さて、経済の基礎を学ぶというのですから、人間の歴史を紐解いて、いえいえ、この絵本でわかるんです。動物たちの協力を得て、物々交換のはじまりが。それが、やがてお金に変わるわけですが、金銭のやり取りまで描いていません。でも、この絵本で、小さな子どもにもわかると思います。

五味太郎さんの絵本を見ると、必ず、どこかにおかしさが隠れています。今回は書き出しから意表をついてきています。

”あるところに、りっぱな ぶどうのきを もっている きつねがいた”

と書かれ、次に出てくるのがたぬきなんですね。これで、もう、この絵本を読むしかなくなるんですね。きつねとたぬきが、はじめに出てきたのですから、何かあると期待してしまいます。

ところが、登場する動物たちは、誰もが騙したり、盗んだり、意地悪も、しない。きつねは、ぶどうをあげると、みんなが喜んで、りんごやら、いちごやらとお礼に持ってくるので、これは素敵なことだと考えたのです。そして、ぶどうやに。

他の動物たちも、りんごやになったり、いちごやに。でも、きつねは、ぶどうの成る木を持っていたわけではありません。勿論、他の動物たちも。・・・・・・・。絵もすっきり、何しろ動物たちが楽しそうです。

2008年4月20日 初版第1刷発行→1979年に「玉川こども・きょういく百科おみせとおかね」の一部を単行本化したものだそうです。早速、図書館で調べたのですが我が市には置いてありませんでした。この絵本の続編が出版されるといいですね。

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