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2009年7月

*1962年:作家賞=マインダート・ディヤング

1906年(~1991年)、オランダの農村に生まれ、8歳の時、両親と共にアメリカへわたり、ミシンガン州グランドラッビズの農場に移住した。それからはアメリカ人として暮らし、神学校やシカゴ大学で学び、一旦は小さなカレッジで教鞭を執った。が、農場で働く道を選んだ。

30歳の頃、近くの図書館で、農場の暮らしを子どもたちに話す機会を得て、(1938年「大きなガチョウと小さな白いアヒル」)作家になる決心をする。そして、18年後「コウノトリと六人の子どもたち」でニューベリー賞を受賞。また、ディヤングは、第二次世界大戦中、アメリカ軍の軍人として中国に赴任している。中国人少年を主人公にした作品「六十人のお父さんの家」がある。

代表的な作品「ぼくの黒うさぎシャデラック「六十人のお父さんの家」中村妙子:訳 講談社、「コウノトリと六人の子どもたち」遠藤寿子:訳 岩波書店、「びりっかすの子ねこ」中村妙子:訳 偕成社、その他。

「びっかすの子ねこ」は、時代に関係なく読める童話で、初版は1966年ですが、何回も増刷されています。その理由は、勿論、お話が面白いということと、全国学校図書館協議会選定・必読図書にもなっているからだろうと思います。

“びりっかすの 子ねこは、みっそかすの すえっこ。にいさんや、ねえさんが、つぎつぎに六ぴき。それから、おまけみたいに、この 子ねこが うまれたのです。

いかにも、感想文が書けそうな気がしません?それも教育的にです。と言って、登場人物はどこにでもいる人たちを描いています。それもさらっと。そして、思わず、うんうんと納得できるのですから、作家の文章がいいんでしょうね。読み聞かせにもいい。

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*1964年:作家賞=ルネ・ギヨ

1900年(~1969年)、フランスに生まれる。大学を卒業すると、フランスの植民地セネガルの首都ダカールへ教師として赴任。第二次世界大戦中を除いて、25年間アフリカに滞在。1950年、パリの高校の教師として任命され、故国に戻ってから作品を発表。その作品の大半はアフリカの自然と原住民を背景に、人間と動物の冒険と友情を描いた小説。

代表的な作品「ぞうの王子サマ」「チンパジーのウオロ」「グリュシカとクマ」那須辰造:訳 講談社「一角獣の秘密」塚原亮一:訳 学研「小さないぬとなかまたち」木村庄三郎:訳 講談社、その他。 

ギヨが生存中、セネガルは1960年にフランスから独立しています。その時の初代大統領レオポルド・セダール・サンゴールはギヨの生徒のひとりでもあったといいます。

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*1966年:作家賞=トーベ・ヤンソン

1914年(~2001年)、フィンランドのヘルシンキに生まれる。父は彫刻家(フィンランド人)で母は画家(スウェーデン人)という両親は文字通り芸術家。トーベはスウェーデンにあるストックホルムの工芸専門学校に。そして、フィンランドにあるヘルシンキの芸術大学へと進んだ。さらにパリの美術学校に。「ムーミン」に登場する様々な個性的なキャラクターは、トーベが出会った芸術家たちだったかも知れない。また、背景となっている自然も、母方の別荘が島にあったことから、幼いころから自然との触れ合いを経験している。ヤンソン一家もフィンランド湾内にある島暮らしを始めている。トーベが育んできた世界は、まさに自然と芸術であった。

その為、早くから挿絵や風刺漫画を描いて画家として世に出た。ところが、1939年に第二次世界大戦が勃発。活動する場を失ったトーベは、密かに物語を書いていたという。 それが「小さなトロールと大きな洪水」(訳:富原真弓 講談社)ムーミンシリーズの第一作にあたる。終戦後に発表したが、出版された部数が少なく再版を望まれていた。初版から46年後に、フィンランドとスウェーデンで出版。翌年の1992年、はじめて日本でも翻訳された。

この作品を読むと、その当時、不安と闘って生きていたことがわかる。それをムーミンママに反映させて、物語を進行させている。それも力強く、ユーモアを忘れずに。

日本には、二度(1971年と1990年)来日している。1984年、フィンランド国民文学賞を受賞。 2001年、ヘルシンキにて逝去。86歳だった。

主な作品:1945年「小さなトロールと大きな洪水」 1946年:「ムーミン谷の彗星」 1948年:「楽しいムーミン一家」 1950年「ムーミンパパの思い出」 1952年:「それからどうなるの? 1954年「ムーミン谷の夏まつり」 1957年「ムーミン谷の冬」1960年「さびしがりやのクニット」1962年「ムーミン谷の仲間たち」1965年「ムーミンパパ海へいく」1970年「ムーミン谷の十一月」その他。

1971年より小説を発表する。「聴く女」、「太陽の街」、「誠実な詐欺師」、自伝=「彫刻家の娘」「島暮らしの記録」、その他。

テレビアニメの「ムーミン」、今は亡き岸田今日子さんのほのぼのとしたムーミンの声は、心まで和ませてくれました。「ムーミン谷の仲間たち」(訳:山室 静 講談社)も懐かしいですね。何といっても自由と孤独を愛するスナフキンの存在が印象的でした。

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「カフカの絵本」

Kahuka 原作:フランツ・カフカ 文:たぐちみちこ 絵:田口智子 小学館 200932日初版第1刷発行

もくじ・恩返し、初めての悩み、羊猫

“恩返し”と“初めての悩み”の二話の原作を、岩波文庫の「カフカ寓話集」(池内 紀編訳)“こうのとり”と“最初の悩み”で読むことができます。また、“羊猫”は、岩波文庫「カフカ短編集」(池内 紀編訳)に収められている“雑種”で。

「カフカの絵本」は綺麗な絵で描かれていて、文と一体になって楽しめます。活字も文庫版より大きいですしね。絵本の参考文献は「カフカ事典」と「カフカとサーカス」と記載されていましたが。

読むとしたら、中学生以上。大人向けの絵本ともいえます。カフカの小説は、むずかしいといわれています。精神的な悩みをあらゆる角度から書かれていて、その表現方法が突飛だったり、奇異に映るからでしょうね。その悩みを心理学のような解決方法は書かれていないし、読者にボールを投げたまま。カフカに関する文献も結構あります。この絵本はカフカ入門になると思います。

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*1968年:作家賞=ホセ・マリア・サンチェスシルバ

1911年(~2002年)、スペインのマドリッドに生まれる。父は新聞記者で、母は詩人であったという。ところが、サンチェスシルバが10歳になった時は、母とは既に死別しており、残された父と子も生き別れている。食べて行くために、あらゆる仕事に就いたが、父親と同じジャーナリストになり、文学、メデアなどの分野にも活躍。1952年に、はじめて子どもの本「汚れなき悪戯」→原題「パンとぶどう酒のマルセリーノ」を発表。

1955年「ろばのノン」江崎桂子:訳 講談社、1959年「ルイソの航海」江崎桂子:訳 学習研究社、1962年「さよならホセフィーナ」江崎桂子:訳 kkダイナミックセラーズ。その他に「ラジス、アリスの国へゆく」等のラジス少年のお話シリーズが第6巻まである。江崎桂子:訳 小学館(スペインの現代っ子児童文学)日本での初版は1981年。

「汚れなき悪戯」(=パンとぶどう酒のマルセリーノ)

ホセ・マリア・サンチェスシルバ:作 江崎桂子:訳 小学館 198010月 初版第1刷発行

今から百年ほどむかし。スペインの小さな村の修道院の前に、生まれて間もない赤ん坊が捨てられていた。12人の神父さんたちによって育てられることになった。名前はマルセリーノとつけられ・・・・。宗教色が色濃く出ている作品なのですが、マルセリーノとキリストの出会いはまるでファンタジーのようです。

1955年にスペインで、この原作をもとに作られた映画は、カンヌ映画祭特別賞/ベルリン映画祭金熊賞を受賞しています。同じ年に日本の「ひろしま」(関川秀雄)も受賞しています。サンチェスシルバが生きた青年期は、スペイン内戦の時代です。(「誰が為に鐘が鳴る」「大地と自由」などの映画があります。)作家自身が孤児になって、出会った人間関係が、そのまま作品になったのでしょうか。登場する人間、みんな明るく、あたたかい。でも、マルセリーノ、マルセリーノって思わず口遊む響きはどこか物悲しい。映画の主題歌「マルセリーノの歌」のメロディーは、今も記憶に残っています。

1968年の作家賞は二人。

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「おおかみのおいしゃさん」

Ookami オルガ・ルカイユ 文/絵 こだま しおり 訳 岩波書店 200947日 第1刷発行

この絵本を読む前に、タイトルだけで、どんなお話なのか想像してみるのもいいですね。

お話は、うさぎのマルクの具合を見てもらおうと、お母さんうさぎはマルクの手をひいて、もぐらのお医者さんの所へ出かけました。もぐらのお医者さんのいうことがおかしいと思ったお母さんうさぎは、次々と動物や、鳥、魚のお医者さんと尋ねて行きます。日も暮れて、お母さんうさぎは、嘆き、もう気持ちもすっかり弱っていました。

そこへふくろうがやってきて、おおかみのお医者さんを紹介するのです。おおかみのお医者さんなんて、お母さんうさぎは、逃げ出してしまいます。でも、マルクは逃げようとはしませんでした。うさぎのみんなが怖がるおおかみを“どんなものか ちかくで 見たかったのです”。

このお話の本質はどこに?1週間前位かどうかはっきりと覚えていないのですが。朝日新聞に、戦後の日本にやって来たアメリカ人は、日本人はとても怖いと思っていたそうです。いざ、日本に来て、日本人のやさしさにふれて驚いたというのです。アメリカで受けた教育、情報で得たものは、日本人の一部の人たちのことだったのだと理解されたそうですよ。

絵本に出てくる狼は、怖いけどやさしかったり、間が抜けていたり、またひょうひょうと描いたり、また赤ずきんに出てくるような狼もいて。さて、このお話に出てくる「おおかみのおいしゃさん」は?

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*1968年:作家賞=ジェームズ・クリュス

1926年(~1997年)、北海にうかぶ小さな島、ヘルゴラント島のエビとり漁師の息子として生まれた。クリュスは、ハンブルクの南東にある師範学校で学んでいるが、教職についたことはなく、第二次大戦の最後の年をドイツ空軍兵として送った後、作家としての生活を始めた。

代表的な作品

1956年「ザリガニ岩の燈台」(植田敏郎訳 偕成社)。1958年「風のうしろのしあわせの島」、1959年「あごひげ船長九つ物語」、1961年「フロレンティーネのいたずら日記」、1962年「わらいを売った少年」、1964年「パウリーネと風の中の王子」、1965年「マルチンのはつめい」(植田敏郎訳 講談社)。絵本「ながいおはなのハンス」(スタシス・エイドリゲビシウス え あまぬまはるき やく ほるぷ出版)その他多数。

それぞれの作品の「訳者のあとがき」は、大変興味深く、参考になります。クリュスの作品の根底は、いつも自由と平和、ユーモアと寛容に満ち溢れています。また、自ら、エーリヒ・ケストナー、ハインリヒ・ハイネ、クルト・トゥホルスキーの三人の名をあげ、継承者だと。

「ワシとハト」

ジェームズ・クリュス作 大塚勇三訳 岩波書店 19677月第1刷発行 19917月第3刷発行

一羽のハトが嵐にあい山々の合間に迷い込んだ時に、大きい一羽のワシがハトをめがけて飛び降りてきた。ハトは間一髪というところで、狭い岩の裂け目に逃げ込んだ。岩の裂け目の奥深くの壁は軽い小石でできていることに気がついた。しっぽを強くふったら、小さい穴を広げることができるかも知れない。それには時間がかかる。ハトの頭に、あの※「アラビアン・ナイト」に出てくるシェラザードのことがぱっと浮かんだ。シェラザードは、千一夜の間お話を話し続け、自分の命を助けた。2時間もあったら潜り抜けられる位に、穴を大きくできるとハトは考えた。

ハトがワシに話したお話

◇、クモのお礼は、人間にありがたみがない ◇、むほんをおこしたロバの話 ◇、ミソザサイとワシの話、または蚊とゾウの話 ◇、びんにはいったワシの話 ◇、戦争と平和とはまるでちがう ◇、チョウセンネズミと階段の話 ◇、森のなかの目ざまし時計の話 ◇、マーラおばさんとむすこのブークの話

※「アラビアン・ナイト」について(ウィキベディアより)

中世イスラム世界で形成されたアラビア語の説話集。中世ペルシア語であるパフラヴィー語で記された(千物語)がアッバース朝期に翻訳されたものとされる。いくつかの発展段階を経て、19世紀に現在の1001夜分を含む形で出版された。18世紀初頭にフランスのアントワーヌ・ガランがヨーロッパで「発見」し、シリア系写本を使ってフランス語訳を行い、ヨーロッパに広く紹介された。(「千夜一夜物語」の外枠のストーリーは、シャーリアール王に連夜おとぎ話を語って聞かせるシェヘラザードの話である。「シンドバッドの冒険」「空とぶじゅうたん」「アリー・ババと40人のとうぞく」他)

クリュスの作品のほとんどは図書館でしかみることができませんが、装い新たに三作品が出版されています。人間の幸福とは?・・・

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*1970年:作家賞=ジャンニ・ロダーリ

1920年、北イタリアの貧しいパン屋の息子として生まれる。彼が9歳の時に父は死亡。1938年―43年は小学校の教師をしていたが、第二次世界大戦中はレジスタンス運動に参加。戦後はジャーナリストと作家活動をしながら、子どもの教育に再び深い関心をよせていく。その中から生まれた1951年の「チポリーノの冒険」は日本でも1956年に出版された岩波少年文庫版(杉浦明平:訳)は‘96年で既に40刷も発行されている。物語は、「わがままなレモン大公の治める野菜とくだものの国。タマネギのチポリーノ坊やは無実の罪でとらえられた父を救い出すために、サクラン坊や、イチ子、インゲン小僧などの助けを借りて大活躍する話。そして、自由な国を求めて・・・。」

この作品に登場する野菜と果物が人間の名前だとしたら・・・。ロダーリがその時代に、できうる発表を児童文学の世界に求めたもの。それは社会風刺だったのだろうと。しかし、その後の作品から、もっと幅広い、ユニークな題材や、ファンタジーな作品を発表している。

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日本語に訳された作品から

「チポリーノの冒険」杉浦明平訳、岩波書店(岩波少年文庫)「青矢号のぼうけん」杉浦明平訳、岩波書店、「うそつき国のジェルソミーノ」安藤美紀夫訳、筑摩書房、「ジップくん宇宙へとびだす」安藤美紀夫訳、偕成社

1967年「電話で送ったお話」鹿島卯女編、鹿島研究所出版会→1983年「もしもし…はなしちゅう」安藤美紀夫訳、大日本図書→2009年「パパの電話を待ちながら」内田洋子訳、講談社

1971年「空にうかんだ大きなケーキ」安藤美紀夫訳、講談社→2006年「空にうかんだ大きなケーキ」よしとみあや訳、汐文社

「猫とともに去りぬ」関口英子訳、光文社、「二度生きたランベルト」白崎容子訳、平凡社、「幼児のためのお話のつくり方」窪田富男訳、作品社、「マルコとミルコの悪魔なんかこわくない!」関口英子訳、くもん出版、その他。

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「パパの電話を待ちながら」の作品に収められている”まちがいだらけのお話”は誰もが知っている赤ずきんを間違って話すおじいさん。これはおじいさんと女の子の漫才みたいなやりとりで笑ってしまいます。勿論その他の話も。この作品は、3回も出版されています。

「空にうかんだ大きなケーキ」この作品も2006年に汐文社より出版されたものが最も新しい。テンポのいい文章に誘われて読める愉快なお話です。

「猫とともに去りぬ」光文社古典新訳文庫シリーズの第1弾として取り上げられたロダーリの作品です。

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*1972年:作家賞=スコット・オデール

1898年、カルフォルニア州ロサンジェルスに生まれ、大学を卒業すると、新聞記者、雑誌編集者など、様々な職業についた。また、第二次世界大戦中は、米国空軍で兵役にも服している。オデールが作家として名声を得たのは1960年に出版された「青いイルカの島」(藤原英司:訳 理論社)が、ニューベリー賞を受賞してからだという。その後、

1966年「黄金の七つの都市」(大塚勇三:訳 岩波書店)

1967年「黒い真珠」(小野章:訳 評論社)

1970年「ナバホの歌」(犬飼和雄:訳 岩波書店)等々がある。

1989年に亡くなるまで書いた作品のほとんどは若い読者向けの歴史物語だった。

Nabaho 「ナバホの歌」

スコット・オデール:作 犬飼和雄:訳 岩波書店 19747月第1刷発行

物語の最後に作者が「ナバホの歌」は、1863年から1865年の二年間におよぶナバホ族の歴史をもとにして書いたものであると記載されてあった。アメリカのアリゾナ州に住んでいたインディアンのナバホ族が、白人にとらわれて故郷の地を追われるという歴史的事実を背景にナバホ族の少女(アカルイアサ)が果敢に生きていく物語。

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子どもたちにとって、インディアンの歴史について知る切っ掛けになる作品です。映画「西部開拓史」(ジョン・ウェイン)は、インディアンを襲撃していく話でした。「幌馬車」もそうでした。1990年に作られた映画「ダンス・ウイズ・ウルブズ」は、敵役のインディアンとの絆を優先した白人の男(ケビン・コスナー)の物語でした。

スコット・オデールが72歳で発表した「ナバホの歌」は、それらの映画で描かれなかったインディアンの歴史を、ナバホ族に焦点を当てて書いたものです。当時のアメリカ社会に受け入れられたのでしょうか。児童文学故、映画「ダンス・ウイズ・ウルブズ」のような反響(アカデミー賞受賞作品)に及ばなかったとでも。歴史の重みを痛感したスコット・オデールが生前に設立した賞こそ、彼の心情をものがたっているような気がします。

http://www.yamaneko.org/bookdb/award/us/odell/

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