« 2009年7月 | トップページ | 2009年9月 »

2009年8月

ケイト・グリーナウェイ

イギリスで出版された絵本で、特に優れたものの画家に対して贈られる賞に“ケイト・グリーナウェイ賞”(1956年設立)がある。コールデコットと同じ1846年、イギリス生まれ。

彼女の代表作「窓の下で」(白石かずこ:訳 ほるぷ出版)の絵本の成功は、天才的な彫版師・印刷業者であるエドマンズ・エヴァンスのすすめと協力によってできたものだった。エヴァンスはクレイン(1845-1915)、コールデコット(1846-1886)、グリーナウェイ(1846-1901)という画家を発掘し、彼らと組んで芸術性の高い絵本を作り出した。

19世紀後半、大英帝国の絶頂期にあったイギリスでは、児童文学の黄金時代を迎えていた。(ルイス・キャロル「不思議の国のアリス」、ロバート・ルイス・スティーヴンソン「宝島」等)それに伴って挿絵画家たちの出番も多くなっていった。そこへ印刷技術の進歩に伴って、絵本というジャンルが確立された。イギリスは絵本も、また、第1次黄金期を迎えた。その影の功労者は、エドマンズ・エヴァンスと言われている。(参考文献:はじめて学ぶ「英米児童文学史」ミネルヴァ書房)

3人の絵本画家の一人、ウォルター・クレインの描いた絵本に「長ぐつをはいた猫」がありました。英語版ですけど、お話は知っていますから、絵だけをじっくり見ました。ケイト・グリーナウェイ、ランドルフ・コールデコット、画風こそ違いがあれ、どこか懐かしい。力強い猫の絵、愛らしい子どもの絵、優雅な絵、どれも緻密で、彩色も綺麗でした。

余談ですけど、ケイト・グリーナウェイの描く子どもは、フランスやドイツで作られた磁器製のアンティック人形のビスク・ドールに似ていると思いましたけど。

Madono_2

|

ランドルフ・コールデコット

アメリカの子どもの文学を対照とした“ニューベリー賞”が制定されたのは1922年でした。その後、絵本賞が、設けられたのは、16年後の1938年です。それが“コールデコット賞”です。

さて、そのコールデコットの絵本ですが、2001年に福音館書店より出版されたオリジナル復刻版で見ることができました。そのすべて(16冊)が英文でしたので、最も、文の短い絵本を紹介。

Queen

,

The Queen of Hearts」(ハートのクィーン)

ランドルフ・コールデコット/著 コールデコットの絵本 オリジナル復刻版 福音館書店 2001 

THE Queen of HeartsShe made some TartsAll on a Summer’s DayThe Knave of HeartsHe stole those TartsAnd took them right awayThe King of HeartsCalled for those TartsAnd beat the Knave full soreThe Knave of HeartsBrought back those TartsAnd vowed he’d steal no more。(まとめて全文記載)

内容はトランプの名前を借りて、ハートのクィーンが、ある夏の日に作ったタルトをハートのジャックが盗み、それを知ったハートの王さまが叱ります。ジャックはタルトを返して、もう盗まないとvow=誓います。この簡単なストリーを美しいイラスト30ページで表現していきます。英文は僅か8ページに短文(一行or二行)が添えられているだけです。お菓子のタルトが戻って、喜んでいる子どもたちの絵は誰でも理解できますから。

,

ランドルフ・コールデコットは、1846年、イングランド西部チェスターに生まれ、15歳で故郷の銀行員になっています。仕事の合間に、絵を描き続け、26歳でロンドンに出て、本格的に挿絵画家として活躍します。1868212日、転地療養先のアメリカ・フロリダ州で39歳の若さで亡くなっています。(参考文献:「コールデコットの絵本」)絵本賞に彼の名前を冠したのは、作品も生き生きとして明るく、“子ども部屋の王者”と認め、尊敬したからそうです。

コールデコット賞の受賞作品「かもさんおとおり」「ちいさいおうち」「たくさんのお月さま」「おやすみかみさま」「かいじゅうたちのいるところ」等等。

|

「でんしゃがくるよ!」

Dennsya シャーロット・ヴォーク:作/絵 竹下文子:訳 偕成社 1998年初版第1

エリナー・ファージョン作「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」の絵を見て、「でんしゃがくるよ!」を思い出しました。父と子の絵本に加えるつもりでいた作品です。土曜日になると、ぼくは、お父さんの自転車の後ろに乗せてもらって、お姉ちゃんは自分の自転車に乗って、三人は、橋の下を通る電車を見に行く。

お話はこれだけなのですが、その情景と絵がほのぼのとして、あたたかい。父と子のふれ合いは、こんな身近なところでもできるんですよね。子どもの喜ぶ姿。ゆったりとしたお父さん。お父さんに見せたい絵本です。

|

*1956年:作家=エリナ・ファージョン

1881年(~1965年)、イギリスの詩人・作家。エリナの父親は作家で、母親は女優という経歴の持ち主であったことから、一般家庭とは違った環境で育った。学校へは行かず、家にあった沢山の本を読んで、やがて作家への道に進んだ。幼いころから、詩や物語を書いていたが、作家として地位を確立したのは40歳。その時に出版された「リンゴ畑のマーティン・ビビン」を皮切りに、次々に作品を発表した。60歳頃(?)から84歳、亡くなる直前まで、自伝や回想録のような作品を書き続けていたという。

1956年に国際アンデルセン賞の最初の受賞者、エリナ・ファージョンは、戦後のヨーロッパの児童文学の質の向上に貢献する作家として選ばれた。

代表的な作品「リンゴ畑のマーティン・ビビン」「ヒナギク野のマーティン・ビビン」「ムギと王さま」「天国を出ていく」「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」その他、石井桃子:訳→岩波書店、「町かどのジム」松岡享子:訳→童話館出版、その他多数。

彼女の作品「ムギと王さま」など短編ながら、社会風刺がさりげなく書かれています。また、その流れに2004年、岩波書店より出された大型絵本「エルシー・ピドックゆめでなわとびをする」(シャーロット・ヴォーク:絵 石井桃子:訳)も入るかも知れませんね。ファンタジーと真実は、アンデルセン童話の真骨頂でしたから。

|

*1958年:作家=アストリッド・リンドグレーン

1907年(~2002年)、スウェーデン南部のヴィンメルビーの郊外ネースの教会付属の農場で4人兄妹の二番目の子どもとして生まれる。1914年 国民学校からサムリアルスコーラン学校へ。1925年 ストックホルムに移り住む。秘書養成学校に通う。

1926年 コペンハーゲンで長男を出産し、デンマーク人の里親に預ける。1927年 スウェーデン・ブックセンター、ラジオ部に就職。1931年 ステューレ・リンドグレーンと結婚し、1934年に長女を出産する。

1940年 戦時検閲局勤務。1944年 ラーベン・オク・ショーグレン社の少女文学懸賞に応募。「ブリット=マリーがほっとする」で第2位入賞。翌年に同社の児童文学懸賞に応募。「長くつ下のピッピ」で第1位獲得。(三瓶恵子著書「ピッピの生みの親 アストリッド・リンドグレーン」岩波書店、の略年譜より)

代表的な作品「長くつ下のピッピ」「ピッピ船にのる」「ピッピ南の島へ」「ミオよ わたしのミオ」「はるかな国の兄弟」「山賊のむすめローニャ」大塚勇三:訳 「さすらいの孤児ラスムス」尾崎 義:訳 →岩波少年文庫。

絵本化されている作品から

「ペーテルとペトラ」クリスティーナ・ディーグマン:絵 大塚勇三:訳、「ぼくねむくないよ」イロン・ヴィークランド:絵 ヤンソン由実子:訳、「ロッタのひみつのおくりもの」イロン・ヴィークランド:絵 石井登志子:訳、→岩波書店。

「よろこびの木」スヴェン・オットー・S:絵 石井登志子:訳、「こんにちは、長くつ下のピッピ」イングリッド・ニイマン:絵 いしいとしこ:訳、「夕あかりの国」マリット・テルンクヴィスト:絵 石井登志子:訳、→徳間書店。

「ふしぎなお人形 ミラベル」ピア・リンデンバウム:絵 武井典子:訳、→偕成社。「ぼくの あかちゃん」ヴィークランド:絵 いしいみつる:訳)→ぬぷん児童図書出版。・・・等々。リンドグレーンの多才な作品に、絵を描かれた画家さんも、また、多彩で個性的で美しい絵ばかりです。

リンドグレーンの作品中、最も子どもたちに愛された「長くつ下のピッピ」は1945年にスウェーデンで刊行されると、たちまち子どもたちの人気を得ました。そこで、ピッピのお話をもっと小さい子どもにと2年後に出版された絵本が「こんにちは、長くつ下のピッピ」です。 徳間書店 2004229日 初版発行

Nagakutu ピッピは、世界中のおまわりさんもかなわない位、強くて力持ち。それにお金持ち。ピッピには家族はいないけれど、ウマとサルがいた。ピッピは何だってできる女の子。・・。

子どもの主人公で強いお話は、日本では「金太郎」とか「桃太郎」が浮かぶと思いますが、でも、ピッピは過去の人ではなく、今も日常的に生きている現代っ子みたいな女の子。それでいて、変身なんかしなくても、大人を軽々と持ち上げてしまう。夢でもなく、誰かに力を借りるわけではない。お行儀も悪く、何から何まで破天荒なのです。子どもにとってこんなピッピは痛快だったのでしょうね。

リンドグレーンの略年譜から、彼女の生きざまはピッピの持っているパワーそのものです。そして、また、どんな暗い話でも、迷うことなく、希望を与える話にチェンジしていく。それも、また、前向きに生きてきたからこそなんでしょうね・・・・。95歳没。

|

*1960年:作家=エーリヒ・ケストナー

1899年(~1974年)、ドイツ・ドレスデン生まれ、詩人、小説家。

代表的な作品をコンパクトにまとめた岩波少年文庫“ケストナー少年文学全集”がある。訳は池田香代子さんと高橋健二氏

1「エミールと探偵たち」2「エミールと三人のふたご」3「点子ちゃんとアントン」4「飛ぶ教室」5「五月三十五日」6「ふたりのロッテ」7「わたしが子どもだったころ」8「動物会議」別巻「サーカスの小びと」その他。

Doubutuka 「動物会議」イェラー・レープマン原案 ヴァルター・トリアー絵 池田香代子訳 岩波書店 19991125日 第1刷発行 

人間の開く会議、ロンドン会議では話し合いは決裂。また、パリ会議でも決裂。像の父さんは、「サハラ新聞」を広げて、大きな声で読み上げた。キリンの父さんは「サハラ新報」を、ライオンの父さんは「サハラ毎日」を広げて読んだ。

戦後4年もたつのに、ヨーロッパには、親のゆくえがわからない子どもや難民がいる。その多くは老人と子ども。世界の半分を破壊した戦争を、また、準備している人間。会議で何も決められない人間。今もどこかで戦争が続いている。そこで像の父さんは人間の子どもたちのために動物会議を開くことにした。

この作品はケストナーが50歳(1949年)の時のものだそうです。戦後4年と言う言葉もピンと来ると思います。ベルリンの崩壊も東西統一も知らないまま、1974年に亡くなっています。子ども向けの児童文学とはいえ、反戦のお話ですから、嘗ての独裁者も業を煮やしていたに違いないのですが。子どもに人気のあったケストナーの作品を、さすがに葬れなかったのでしょうね。

ケストナー生誕百年に当たる1999年に復刻された大型絵本。活字が多く読むのが大変と言う子どものために、トリアーの絵が助けてくれます。今日の朝刊のトップ見出しは「原爆症訴訟 全員救済へ」でした。こちらは、戦後64年です。

|

« 2009年7月 | トップページ | 2009年9月 »