カテゴリー「宮沢賢治」の17件の記事

「月夜のでんしんばしら」

Tukiyo 宮沢賢治 作 遠山繁年 絵 偕成社 第1198910

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【話】ある晩、恭一は鉄道線路の縁を歩いていた時、その晩は、線路の見まわりをする工夫にも、危険な汽車にも出会わなかった。月明かりの中を歩いて行くと、停車場のあかりが綺麗に見える所まで来た。そこはまるで大きなお城があるように思った。

突然、がたんとシグナルが下がった。すると、線路の左側でぐわあん、ぐわあんと唸っていた電信柱の列が大威張りでいっぺんに北の方へ歩き出した。

二本の柱がよろよろ倒れそうになると、後ろから来た元気のいい柱がどっちかが参っても一万五千人みんな責任があるんだぞと脅した。電信柱はまるで川の水のようにやって来た。その行軍を見ていた恭一に、指揮をとっていた総長のじいさんが声をかけた。

行軍を見たのなら仕方がないと言って恭一に握手を求めた。軽く握られただけでもビリリッときた。じいさんが、手帳を取り出して自慢話をしていた時、汽車が遠くに来るのを見た。

じいさんは慌てて進軍をやめさせた。電信柱の行軍はぴたりと止まって普段通りに戻った。汽車がごうとやって来た。機関車の石炭は真っ赤に燃えているのに、客車の窓はみんな真っ暗だった。するとじいさんは・・・・・・。

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【所感】鉄道線路から見える多くの電信柱から軍隊の行軍を連想した事にまず驚かれると思います。そして、その行軍の軍歌はリズミカルに「ドッテテドッテテ、ドッテテド、でんしんばしらの ぐんたいは はやさ せかいに たぐいなし。ドッテテドッテテ、・・・・。」と歌うのです。

はじめて電灯がついた頃のこと、電気に息をかければ消えると言った話は、子どもにも分かりやすいです。また、電信柱が疲れて、ひとりでも遅くなれば、針金が弛むという表現も想像できます。

電信柱の軍歌に籠められた言葉は、軍隊の厳しさを伝えています。ドッテテも繰り返せばリズムになりますけど、ドテって重い言葉ですよね。恭一の見た光景は、幻想かも知れませんが、伝えたかったことはリアルです。

絵は「双子の星」を描かれた遠山氏です。

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「土神と狐」

Tutigami 宮沢賢治=作 中村道雄=絵 偕成社 199412月発行

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【話】野原の、まん中には一本の綺麗な女の樺の木があった。この樺の木には二人の友達がいた。一人は谷地に住んでいる土神、もう一人は野原の南の方からやって来る茶色の狐。

土神は粗野で乱暴で、髪も着物もボロボロ、眼は赤く、いつも裸足で爪も黒く長かった。それに比べ、狐は、仕立ておろしの背広を着、赤革の靴を履いて、手には詩集と、上品な風であった。

花も力いっぱい咲いた頃、土神は腕を拱きながら、ゆっくり静かに歩き、樺の木の前に立ち、わからないことが多いと嘆いた。樺の木はなだめるつもりで「狐さんにでも聞いて見ましたらいかがでしょう。」と言ってしまった。

これを聞いた土神は、狐の悪口をありったけ言った。それでも、怒りがおさまらなかった。むしゃくしゃした気持ちを、祠(ほこら)の前を通る木樵に嫌がらせをして困らせた。

八月のある霧の深い晩、土神はいつの間にか、あの樺の木の方へ。ところが、霧の向こうから狐の声と樺の木のやさしい声が聞こえて来た。土神は胸を掻きむしり悶え、両手で耳を押さえ一目散に北の方へ走り去った。

秋になって、土神は意地の悪い性質もどこかへ行ってしまって上機嫌だった。両方とも嬉しくて話すのなら、本当はいいことなんだと思うことにした。心も軽く樺の木に、そのことを逐一話した。

そこへ、狐がやって来た。狐は土神を見ると顔色を変え、少し震えながら、約束した本を樺の木に渡した。そして、去ろうとした時、赤革の靴が草にキラッと光った。土神はそれにびっくりして我に返った。狐が肩をいからせて歩いているのを見て、もう我慢できないと狐の後を追った。・・・・・・・。

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【所感】校本「宮沢賢治全集」第八巻(筑摩書房)校異に、大変興味深い記述があります。

土神ときつねの題名の右方やや上寄りに、赤インクの大きな字で、

土神、・・・[休→退]職教授 

きつね、・・・貧なる詩人 

樺の木、・・・村娘

と書かれ、愚話よりもシナリオ風の物語、さらに物譚詩とも。

(綺麗な村娘に惹かれた二人の男、一人は退職教授、もう一人は貧なる詩人ということになりますね。)

嫉妬に悶え苦しむ土神も、気取った狐も、賢治自身のような気がしました。賢治の童話としては珍しい位、生の人間の激しい言葉を使っています。この物語を理解できる年齢は11歳以上の思春期の子どもからでしょうか。

絵は「なめとこ山の熊」をはじめ賢治の作品では、既に馴染みの組み木絵です。こちらも、かなり迫力のある絵になっています。

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「からすの北斗七星」

【話】烏と山烏の戦争の話。烏の大尉は許嫁に戦死?した場合は他へ嫁いでくれと言う。許嫁は、あんまりだ、かあぉ、かあぉ、かあぉ、かあぉと泣き出す。大尉は娘烏に丈夫でいるんだぞと言いおいて戦地に行き、山烏と戦う。

そして、大尉が

「報告、きょうあけがた、セビラの峠の上に敵艦の碇泊をみとめましたので、本艦隊はただちに出動、撃沈いたしました。わが軍死者なし。報告終わりっ。」と報告すると大監督は喜び、大尉から少佐に進級させた。

少佐になった烏は、敵の山烏が空腹の為、山から出てきたところを19隻で囲んで殺した。そのことを思い出して涙した。

敵の死骸を葬ることを願い出、許可を得た。マジエル様と呼ぶ「からすの北斗七星」を仰ぎ見た。

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【所感】烏の大尉がマジエルの星を仰ぎ見ながら言う言葉と、祈りは胸を打ちます。同じ仲間の山烏との戦いに、どちらが勝った方がいいのかわからないと言い、そして、憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますようにと、祈ります。

戦争と言う痛ましい話を烏の鳴き声で和らげて、滑稽に感じさせています。風刺の精神と言われる所以かも知れません。

賢治の生きた時代は小林多喜二に象徴されるような社会主義や労働運動が高まった時期でもあり、弾圧された時期でもあった筈です。「からすの北斗七星」は戦争批判の話にもなっています。童話であるが故、売れなかった作家故、賢治のトランクの中でひっそりと生き延びたのでしょうか。

でも、戦争は今も世界のどこかで続いています。

ポプラポケット文庫「注文の多い料理店」の中から。

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「鹿踊りのはじまり」(ししおどり)

Sika 宮沢賢治・作 たかしたかこ・絵  偕成社 199421刷 199737

岩手・花巻周辺に今も伝わる郷土芸能「鹿踊り」その本当の精神を風から聞いたとして話が始まります。

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【話】ある時、嘉十(かじゅう)は、栗の木から落ちて、膝を痛めた為、天気のいい日に、湯治に出かけた。

その途中、すすきの原で休み、栃と粟との団子を食べ、残りの栃の団子は鹿にと、白い花の下に置いて、再び歩きだした。

ところが、手拭いを忘れたことに気が付き、急いで引っ返した。そこで嘉十が見たのは、手拭いを囲んでいる六疋の鹿たちだった。

鹿は、狐が食べ物に口発破(ダイナマイト)をしかけられて、捕まったことを知っていた。

手拭いにも、何か仕掛けられていないか、おそるおそる一疋ずつ調べ始め、最後の六疋目の鹿がやっとその手拭いをくわえて戻ってきた。

鹿たちの喜びは歌となり、その歌に合わせて踊りだした。栃の団子も一番はじめに手拭いに進んだ鹿から、一口ずつ食べた。六疋目の鹿はやっと豆粒くらい食べただけだった。・・・・・・・。

“それから、そうそう、苔の野原の夕陽の中で、わたくしはこのはなしをすきとおった秋の風から聞いたのです。”と、締めくくってありました。

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【所感】すきとおった風は、自然もきれいでないと吹かないでしょうね。また、口発破の仕掛けも栃の団子も人間がもたらしたもの。それでも鹿は「のはらのまん中の めっけもの」と歌いながら跳ねて踊る大らかさがあります。

自然と動物が共に生きてきた喜びが郷土芸能「鹿踊り」になってきたのだと。賢治のいう「本当の精神」とは何でしょう。*「農民芸術概論綱要」の序論にこんな言葉がありました。

”・・世界ぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。・・”

農民芸術の興隆では

”・・芸術をもてあの灰色の労働を燃やせ ここにはわれらの不断の潔く楽しい創造がある 都人よ 来ってわれらに交じれ 世界よ 他愛なきわれらを容れよ”

と。考えてみれば芸術のもとになっているのは、この郷土芸能なのかもしれませんね。そこで生きた人々の息吹きがなければ生まれなかったのだから。

絵はケント紙にパステルと色鉛筆の混合技法で描かれたそうです。やわらかな色あいは人も風景も鹿もみなあたたかい。心も穏やかになります。

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*『宮澤賢治・高村光太郎集』現代日本文学体系27 筑摩書房 

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「やまなし」

宮沢賢治 作  安藤徳香 絵  ベネッセ 1986515日初版発行 19963158刷発行

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【話】二匹の蟹の子供らが青じろい水の底で話していた。小さい蟹がクラムボンの死んだことを繰り返し言う。鉄色に変に底光りしている魚は蟹たちにとって脅威の存在。尖った鳥のくちばしに捕まってしまう光景をまのあたりに見て怯えた。兄さん蟹はお父さんに、魚はどこへ行ったかと尋ねると“魚かい。魚はこわい所へ行った。”と、答えた。子供たちの上を泡と一緒に白い樺の花びらが流れて・・・・。底の景色も夏から秋の間に変わり、蟹の父と子も生きていた。水の中は恐ろしいことばかりでなく、熟した果物(やまなし)が落ちてくるのです。ドブンと。

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【所感】クラムボンが死んだことの衝撃が読む者にも伝わってきます。そのクラムボンが小さな蟹たちの家族なのか、知り合いなのかは一切記載されていません。いろいろ論議されているようですが・・

この童話も賢治の言葉が活き活きとして語られています。死の恐怖と生きる喜びを二枚の幻燈に映した物語になっています。安藤徳香さんは絵でそれを表現しきったと言っていい程、素晴らしい。

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「よだかの星」

宮沢賢治 作 工藤甲人 絵 ベネッセ 1984年11月25日初版発行 1998年4月30日9刷発行

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【話】よだかはあの美しいかわせみや蜂すずめと兄弟でした。けれど鷹と同じように羽が強くて、風を切って翔けるときなどは、まるで鷹のように見えたことと、もう一つは鳴き声がするどかった為に「たか」という名がついてしまった。しかし、それ以外は鷹とは似ても似つかない位みすぼらしかった。他の鳥からも疎まれ、小さい鳥にまで悪口を言われていた。

鷹もよだかの顔さえ見れば名前を変えるように強要した。「市蔵」と書いた札を首にぶら下げて、みんなに披露するように、それも明後日の朝までにと期限までつけた。もし、それをしなかったらつかみ殺すと脅された。

よだかは、今まで何も悪いことをしたことがなかった。赤ん坊のめじろが巣から落ちていた時は、巣に戻してあげたのに、盗人みたいに扱われた。それに、今度は市蔵だなんて・・辛い話だなあと嘆いた。それでも、まだ、心に幾らかの余裕はあった。

あたりが薄暗くなってきた頃、よだかはいつものように、えさを求めて巣から飛び出した。口を大きく開いて羽を真っ直ぐに張って、まるで矢のように空を横切ると、小さな羽虫は幾匹も幾匹も喉に入ってきた。次に、一匹の甲虫が喉に入ると喉をひっかいてばたばたしたので無理に飲み込んだ。

その時、急に胸がどきっとして、よだかは大声をあげて泣き出した。泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐった。・・・・

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【所感】よだかは既にたくさんの羽虫やかぶとむしを殺して食べていたことに気づきます。弟のかわせみに別れをつげるときに言った言葉は、”いたずらにお魚をとらないように頼みます。”と。賢治は生きるために、仕方がない殺生を認めつつ、必要以上に殺さないで欲しいと、何度も繰り返し訴えています。よだかは、自分が殺される境地になって初めて自分の殺生の恐ろしさで泣きました。

昇天して星になることを望んだけれど、どの星も相手にしてくれません。自らどこまでも空高く昇って行く時、寒さや霜がまるで剣のようによだかを刺したのです。その痛さに耐えた時、よだかは星になれたのです。澄んだ夜空に今もよだかの星は燃え続けているそうです。胸の痛くなるお話でした。

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宮沢賢治の22歳までの年譜

<宮沢賢治の年譜>

1896年:明治29827岩手県稗貫郡里川口村川口町(現在の花巻市豊沢)に、長男として生まれる。家業は質・古着商であった。

1902年:(6歳)9月下旬、赤痢にかかり、隔離病舎に収容され2週間入院。このとき看病中の父に感染、大腸カタルを起こし、以後内臓が弱くなる。

1903年:(7歳)4月、町立花巻川口尋常高等小学校(後、花城と改名)に入学。

1909年:(13歳)4月、県立盛岡中学校に入学。

1911年:(15歳)中学の先輩石川啄木歌集『一握の砂』の発刊に刺激を受け賢治も制作をはじめる。北原白秋の影響もみられる独特の感覚も表れている。

1914年」:(18歳)3月、盛岡中学を卒業。4月、岩手病院で肥厚性鼻炎の手術を受けたが、発疹チフスの疑いがもたれた。父は看病中倒れ、父子ベッドをならべる。この二度のやっかいが、負目意識としてつづいた。入院中看護婦にあこがれ、父に結婚の許可をもとめて退けられる。5月末退院したが、失恋や家業の嫌悪や進学見込みもないことからノイローゼ状態となる。父は前途をうれい、希望した盛岡高等農林学校の受験をゆるす。おりから父へ送られていた島地大等編『漢和対照妙法蓮華経』を読んで感動し、心機一転、受験勉強に励む。

1915年:(19歳)4月、盛岡高等農林学校農学科2部(農芸化学科)に入学、寄宿舎に入る。中学時代とことなり勉学につとめ、近郊の山々に鉱物をもとめ、短歌の制作を行う。10月級長を命ぜられる。

1916年:(20歳)3月、特待生となる。『家長制度』を書き、校友会会報に短歌29首発表。

1917年:(21歳)3月、校友会会報に短歌『雲ひくき峠等』14首発表。4月、弟清六と盛岡市内に下宿。この年、同人雑誌「アザリア」第1号を発行し、短歌と併行して短編習作が目立ってくる。

1918年:(22歳)大正73月、盛岡高等農林学校を卒業したが、地質研究生として残る。8月、童話『蜘蛛となめくじ狸』『双子の星』を弟妹によみきかせる。12月、妹トシ(日本女子大生)の病気看護のため、母とともに上京。

賢治が童話を書き始めたとされる22歳までの履歴を年代順に掲載。ポプラポケット文庫の巻末より、主な所を抜粋させて頂きました。詳しくは↓で。

Tyuu4 「注文の多い料理店」著 宮沢賢治 ポプラ社 200510月第1刷 20067月第4刷 

⇒「どんぐりと山ねこ」、「狼森と笊森、盗森」、「注文の多い料理店」、「からすの北斗七星」、「水仙月の四日」、「山男の四月」、「かしばやしの夜」、「月夜のでんしんばしら」、「鹿踊りのはじまり」等の9話が収録されています。

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「双子の星」

Hutago1 宮沢賢治・作 遠山繁年・絵 偕成社 1987111刷 1998218

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【話】主人公は天の川の西の岸の水精(すいしょう)のお宮に住んでいる双子の星、チュンセ童子とポウセ童子。空の星巡りの歌に合わせて一晩銀笛を吹くのが双子の星たちの役目でした。

その双子の星の前で大烏(おおがらす)の星と蠍星(さそりぼし)が喧嘩をして、どちらも深傷を負った。その傷の手当てを懸命に介抱し、自分たちの役目を果たせなかったら流されてしまう双子の星。その身を顧みず、大きな烏と大きな蠍を助ける。

その双子の星は、箒星に騙されて海へ落とされた。海の底でヒトデに、新米のヒトデ、ほやほやの悪党とまで罵られても、めげずに「さよなら、王様。また天上の皆様。おさかえを祈ります。」と、どこまでも健気。そして、今度は鯨に出合いい・・・・・。

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【所感】この作品は賢治の最初期の作品だそうです。絵にもやさしさを感じます。双子の星のように。

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「狼森と笊森、盗森」

Oinomori 宮沢賢治 作 村上 勉 絵 偕成社 1996111刷発行

岩手県に実在する森なんだそうです。名前にちなんで賢治が民話風に書いた童話です。

と、云うことは、狼森(オイノもり)は、差詰め狼がいる森と云うことになり、そして、笊森(ざるもり)は笊があり、盗森(ぬすともり)は盗人がいると云うことになります。

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【話】小岩井農場の北に、黒い松の森が四つあった。南に狼森、次に笊森、その次に黒坂森があり、北のはずれは盗森。この四つの森に囲まれた小さな野原に農民たちがやってきた。彼らはこの地を開拓すれば暮らせると思った。その前に森に向かって「ここへ畑起こしていいかあ。」と叫ぶと、森も一斉に「いいぞお。」と答えます。そして、家も建てていいか、火もたいていいかと暮らすために必要なことを、森に向かって叫ぶと、森も「ようし。」「いいぞ。」と木霊のように返えって来た。春になって、小屋が二つになって、種まきをして、蕎麦、稗、お米まで取れるようになって、新しい畑もふえた。小屋が三つになったときは嬉しくてみんなはねた。ところが、土の堅く凍った朝、小さな四人の子どもが夜の間に見えなくなってしまった。一番近い狼森へ探しに行った。・・・。

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【所感】「雪渡り」と同じように明るく、ユーモラスな作品です。村上氏の描く山々、登場する人物、動物、すべてが活き活きとして、お話がより面白く感じます。

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「雪渡り」

Yukiwa1_2 宮沢賢治・作 たかしたかこ・絵 偕成社 199061刷 1998120

“雪がすっかり凍って大理石より堅くなり、空も冷たい滑らかな青い石の板で出来ているらしいのです。「堅雪かんこ、しみ雪しんこ。」お日様がまっ白に燃えて百合の匂いを撒きちらし、また、雪をぎらぎら照らしました。「堅雪かんこ、凍み雪しんこ。」四郎とかん子とは小さな雪沓をはいてキックキックキック、野原に出ました。”

このお話の出だしの文です。このまま書いていたら引用文が止まらなくなりそうです。二人の子どもと白い狐の子の出会いから、言葉がリズミカルなんですね。四郎と妹のかん子は狐小学校の幻燈会に招待されます。狐の悪い評判を無くすための幻燈会でした。写真がうつるたびにキックキックトントンと歌います。

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キックキックトントン、キックキックトントン。

「ひるはかんかん日のひかり よるはツンツン月あかり 

たとえからだを、さかれても 狐の生徒はうそ言うな。」

キックキックトントン、・・・・・・・・。

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賢治の動物を見る目はいつも優しい。絵も素敵でした。賢治の奏でるリズムに浮かれて、声を出して子どもに読んであげたらきっと喜ぶと思います。

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「どんぐりと山猫」

Donnguri_2  宮沢賢治 作 高野玲子 絵 偕成社 198921刷 199825刷 

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【話】山猫から一郎におかしな葉書が来た。面倒な裁判をするので来て欲しいという。

どんぐりの中で誰が一番偉いのか、どんぐりたちが口々に叫んで、蜂の巣をつついたような騒ぎを起こして困っていた。山猫はその状況を一郎に見せてどうしたらいいのかを訊いた。

一郎は”このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい”と山猫に教えた。

それを聞いた山猫もなるほどと頷き、どんぐりたちに申しわたした。どんぐりは、静まり返って固まってしまった。・・・・。

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【所感】頭のとがっていること、大きいこと、丸いことの自慢を言っていたどんぐりたちが、一斉に固まってしまったというのですから、馬鹿と言う意味を理解していたんですね。勿論、偉いと言う意味だって知っていたと思います。一郎の言葉で目が覚めたのでしょうね。馬鹿馬鹿しいことに。最後に山猫が一郎にまた来て欲しいと言います。その時の葉書の文句に「明日出頭すべし」と書いてもいいかと尋ねます。山猫も裁判長なんですから、当然と言えば当然な言葉なんですけど。一郎は断りますが後で、自分も偉いと言う言葉に拘っていたことに気がつきます。みんな誰もが偉い人になりたいんですね。

銅板画の絵本です。緻密な丁寧な描き方で楽しませてくれました。

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「なめとこ山の熊」

Nametoko 宮沢賢治 作 中村道雄 絵 偕成社 1986111刷 1997522

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【話】なめとこ山の熊の胆は腹痛や傷を治癒させる効果があることから、毛皮だけでなく調法されていた。熊捕りの名人淵沢小十郎は熊を捕って生計をたてていた。

畑はなし、木もお上のもの、里へ出ても誰も相手にしないから、他の仕事に就くこともできなかった。仕方なく猟師をしている。

生きていくために小十郎は熊を撃ち、熊は身を守るために人間を襲う。小十郎は、お互いの因果関係を嘆く。

そして、お互いに決着をつける時が来た。・・・・・・・。

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【所感】小十郎の熊への思い、また熊の小十郎への思いを淡々と冴え冴えと透き通る言葉で伝えています。

絵は中村道雄氏の組み木絵だそうです。新しい技法に楽しみも加わって、より味わい深い絵本になっています。

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「氷河ねずみの毛皮」

Hyouga2 宮沢賢治 作 木内達朗 絵 偕成社 20082月 初版第1「氷河鼠の毛皮」が装いを新たに豪華絵本になりました。

【話】1226日夜8時に極北の幻視の都市ベーリング行きの列車に乗ってイーハトヴを発った人たち。車中で15人が乗り合わせた。

顔の赤い肥った豪商人が氷河鼠の毛皮の上着を着ていた。それも氷河鼠450疋分の頸の毛皮でこさえたものだった。その他にもラッコ、ビーバー、黒狐等の動物の皮の外套を身につけて、指にはアラスカ金の大きな指輪をはめ、10連発のピカピカする鉄砲まで持っていた。北極近くまで猟に出かけるために急行列車に乗ったのだった。男の名前はタイチ。

このタイチ、痩せた赤ひげの男、船乗りらしい帆布の上着を着た青年。赤ひげは間諜(スパイ)で、タイチを撃つために同じ列車に乗ったのだった。そして青年は、・・・・・・・

【所感】青年が車中で演説をします。その言葉は賢治自身が、日頃から考えていたことなのですが。動物を人間と同じ視線で捉えている賢治にとって、書かずにはいられなかった演説の言葉は、子どもたちに何としても伝えたかったのです。

賢治が風景を語る時、何故か、その情景が目に浮かびます。と言っても私の場合は密集地帯での生活圏。勝手に想像する幻視の世界を木内氏の絵がそれを手伝ってくれました。

ドラマチックなお話です。言葉はやや難解なところがありますが、童話の姿勢を貫いている作品です。

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「さるのこしかけ」

Saruno 作 宮沢賢治 絵 さいとうよしみ 小学館 2007310日初版第1刷発行

【話】楢夫は“はははあ、これがさるのこしかけだ。”と興味を持ち、このきのこに座れる猿は、せいぜい、自分の握りこぶし位もないだろうと思った。すると、軍服を着た猿の兵隊が現れた。両サイドの小さなきのこは小猿の兵隊で、真中にある、やや大きなきのこは大将の腰掛だった。

軍服を着た大将の猿が楢夫に向かって、60になるところだと威張ってみせた。陸軍大将でも、所詮、小さい猿ですから、楢夫は怖くも何ともない。そんな二人のやり取りを聞いて小猿たちが笑う。大将の小猿は楢夫を栗の木の中へと誘い込む。

栗の中は煙突みたいに空洞になっていて、電燈までついている。栗の木の上までは小さな小さならせん状の階段になっていて、楢夫は言われるままに息切れしながら登って行く。・・・・・。楢夫が着いた所は眩しい昼間の草原、種山ケ原だった。そこで見たものは、草原をいっぱいにした軍服を着た小猿の大軍。大将の号令で楢夫の体を小さな綱で縛ってしまう。そして、楢夫を胴あげすると、体は宙に浮いた。次の瞬間「落せっ。」と大将の号令。小猿共は楢夫が地べたに落ちてくるのを見ようと叫んでいた。楢夫は覚悟をきめて・・・・・・。

【所感】この話の原稿の題名右わきに赤インクで「種山ヶ原 夢中の一情景」と書き込まれてあったそうです。賢治の住む岩手では、きのこは珍しくなかったと思います。でも、キノコの名前が「さるのこしかけ」ですからね。賢治の想像は弥が上に広がっていったのでしょう。それにしても軍服を着た猿とは。賢治の頭から離れなかった時代背景に憂えていたのかも知れません。

絵を描かれたのはさいとうよしみさん(「耳なし芳一」)です。老齢の大将の小猿がアップで描かれている所があります。これから目論むことを表した顔です。見応え充分です。

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「注文の多い料理店」

「オッペルと像」資本家のオッベルと、奴隷のように働かされる白い象は、恰もその当時の世相を風刺した童話でした。それから「わにくん」もまた、ブラックユーモアを感じさせる人間諷刺でした。ワニ君が人間を食べてしまった理由を絵でもわかりやすく描いていました。それに比べて「注文の多い料理店」はミステリアスです。読むのを止めてはいけません。と、暗示をかけられたみたいに、ページを捲ります。そして、最後にやっとわかるのですが。

このお話の冒頭の言葉は、“ふたりのわかい紳士が、すっかりイギリスのへいたいのかたちをして、・・・”とあります。

梅原猛氏は、二人の紳士が食べる立場にいた人間中心主義の殺害精神をあげて、最後に食べられる立場においた所に賢治の鋭い風刺精神があると述べていたけれど・・・。強国の軍備拡大はそんな逆転を一番恐れている現れと言うことにもなりますね。

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Tyuumonn ←絵:池田浩彰 講談社  

     ↓画:小林敏也 パロル舎 Tyuumonn2

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「オッベルと象」

資本家のオッベルと、奴隷のように働かされる白い象のお話です。

地主オッベルの所へ、森を出た大きな白い象が、迷いこんで来た。オッベルは静かに、するどく象を観察し、まんまと手なずけてしまう。

象を騙し騙し、首輪をはめ、足に重い鎖を巻き、4百キロもある足枷をつけた。何も知らない象はオッベルの言いなりになって働く。

初めは、どんな労働も楽しんでした。オッベルは、労働の厳しさに反して、食べ物は徐々に減らしていった。

象は、毎晩月に祈っていた。その祈りも空しく、オッベルは、さらに過酷な状況に追い込んだ。

「オッベル」「白象」「サンタマリア」は、あたかも他国の話のように見えます。(敢えて、そうしたのかも知れません)やさしい童話の名を借りた社会風刺だと思います。若い小林多喜二のような激しさはありませんが。

それでも、象は一せいに立ちあがり、まっ黒になってほえだし「オッベルをやっつけよう」議長の象が高くさけぶと、「おう、でかけよう。グララアガア、グララアガア。」みんながいちどに呼応するこのシーンは圧巻です。

20053月岩崎書店より発行 宮沢賢治のおはなし10『オッベルと象』(絵:長谷川義史)より。

小林多喜二の代表作『蟹工船』は実話をもとにして書かれた小説で、日本プロレタリア文学の象徴的作品として知られています。

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『水仙月の四日』

宮澤賢治・作 伊勢秀子・絵 偕成社

3月頃になると桜前線の便りが届きます。水仙も季節を表す花(12月から4月頃)ですから、宮澤賢治の育った岩手県は東京より(2月頃)遅いのでしょう。「水仙月の四日」は、作者の造語です。

“ひとりの子どもが、山の家への道をいそいでいました。でも、その日はこのあたりは「水仙月の四日」にあたっていたのです。それはおそろしい雪婆んごが、雪童子や雪狼をかけまわらせて、猛吹雪を起こさせる日。”

雪婆んごは猫のような耳をもち、ぼやぼやした灰色の髪をして、裂けたような紫の口、尖った歯を持っていた。

“「なにをぐずぐずしているの。さあ降らんすんだ・・・・・・」「おや、おかしな子がいるね、そうそう、こっちへとっておしまい。水仙月の四日だもの、一人や二人とったっていいんだよ。」「ええ、そうです。さあ、死んでしまえ。」”

赤い毛布にくるまった子どもはカリメラ(カルメラ)のことを考えながら雪丘の裾をせかせかと、うちの方へ急いで歩いているうちにこの雪婆んごの降らす猛吹雪に出会ってしまい、そして雪の中で身動きできなくなってしまう。

雪の中で倒れたら、眠ってしまったら、凍え死んでしまう。そんな心配をしてしまいます。

透き通った雪原、その中で、赤い毛布,青火、赤砂糖、白い火、雪花石膏、真っ赤な舌、白熊の毛皮、りんご、まっ青なそら、青びかり、黄金いろ、白と藍色、群青の空、等々色彩を表す言葉が出てきます。

“こどもは力つきて、もう起き上がろうとしませんでした。”この子どもを助けてあげるのが雪童子なんですが、その助けかたもはらはらしてしまいます。

雪国の厳しさを知らない子どもも、このお話はきっと分かると思います。読み終わった後は、ホッとして静かな感動が待っています。

絵を描かれた伊勢秀子さんは雪の表情や質感を求めて、岩手山の麓から吹雪の八甲田まで取材されたそうです。絵も美しいです。

水仙もアセビの花もこの雪が消えて無くなる頃に咲くのでしょうね。

Suisenn

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