カテゴリー「グリム童話」の8件の記事

グリム童話「ねむりひめ」

Nemurihime フェリクス・ホフマン え せた ていじ やく 福音館書店 1963101日発行 1996年第52

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【話】むかし、あるくにの、王さまとお妃さまにカエルの予言どおり、待望の子どもが生まれた。お祝の宴会に、占い女たちまで招いた。その国に13人いたけれど、金の皿が12枚しかなかったので、一人だけ呼ばなかった。宴会は華やかに行われ、その終わりに、占い女たちが子どもに、良い心、美しさ、お金持ちになる幸せを、と云う風に、この世で欲しがるものを贈った。11人まで贈り物が授け終わった時に、呼ばれなかった13番目の占い女が入って来るなり、姫は15になった時、錘(糸巻きの心棒)にさされて死ぬと、大声で叫び、その場を立ち去った。誰もがぎょっとした。ところが、まだ一人だけ贈り物を授けていなかった12番目の女が呪いの言葉を取り消すことはできなかったが、軽くすることはできた。姫は死なない変わり、100年の間、ぐっすり眠ってしまうと。王さまは、国中の錘を焼き捨てるよう命じた。

姫が15になったある日のこと、たまたま一人、城に残り、気の向くままに、あちこち見て回って、古い塔の狭い螺旋階段を上った。小さな戸口の錆びた鍵を回すと、戸が開き、おばあさんが麻糸を紡いでいた。ぐるぐる回っている錘を手に取ろうとした時、指を刺し、その瞬間、姫は、そばにあった寝床に倒れ、深い眠りに落ちた。そして、この眠りは城じゅうに広まり、やがて、城の周りには、いばらの生垣が茂り、すべてを包み隠した。・・・・・・。100年もの間、この呪いは誰も打ち破ることはできなかった。しかし、ちょうど100年経って、・・・・。

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【所感】この絵本の占い女は、仙女、魔女、賢女、と訳されている本もあります。13番目の占い女のかけた呪い、100年の眠りについて、高橋義人著「グリム童話の世界」ヨーロッパ文化の深層へ(岩波新書)に、興味深い記述がありました。

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“浦島太郎と同じように本当は死んで、竜宮城にも似たあの世に遊んでいたのかも知れない。ところが「浦島太郎」に見られるように、メルヘンではあの世に旅立ったはずの主人公がかならずこの世に戻ってくることになっている。それは、おそらく、メルヘンを語り継いだ農民たちが、冬が終わって春が再訪すると死んだ作物が再生するように、メルヘンの主人公も元気に蘇ってほしい、と願ったからにちがいあるまい。”と、

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そして、農民を主とする名も知れぬ民衆たちは、「この世からあの世を経て、ふたたびこの世に」というこのメルヘンの基本構造を作り、そして、100年の眠りから目を覚ますという、より神話的な話へと徐々に作り変えて、その神話性に、さらに磨きをかけたのが、グリム兄弟だと。

自然と共に生きた農民の祈りが、神話をつくりだしたとするなら、その豊かさに感歎し、改めて思う、生活から編み出したメルヘンは民衆の心の支えだったのだろうと。

眠りから覚めた姫が不幸では、あくる日の労働にも差支つかえただろう。故に、ハッピエンドでなくてはならない。

語り継がれた昔話をグリムが原話に戻そうと努力し、また、当時の支配者に服従して、手を加えていても、大衆がそれをおしはかってきたからこそ、世界中で、今尚、読まれているのだろうと思います。

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グリム童話「いばらひめ」スベン・オットー え  矢川澄子 やく 評論社 この絵本が新しく出版されています。

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「ヘンゼルとグレーテルのおはなし」

Hennzeru グリム原作 バーナデット・ワッツ 文・絵 橋本友美子 訳 BL出版 2006年11月30日 第1刷発行

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【話】貧しい木こり夫婦には、二人の子どもがいた。ある年の飢饉で、食べる物も手に入らなくなった。残っているのは、ほんのわずかのパンだけになってしまった。ヘンゼルとグレーテルの兄妹が、森の奥深くに捨てられて、お菓子の家を見つけて、森から脱出するまでのお話。

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【所感】ここで、再確認させられたのが飢饉でした。口減らしに子どもを捨てたり、働けなくなった老人を捨てたり、身売りしたり、飢饉による悲劇は日本の歴史にもありますね。百姓一揆も、米の不作にもかかわらず、厳しい年貢米の取り立てに苦しんだ農民の闘争です。家族を救うために娘を身売りさせたこともあったのですから、子どもを捨てた親もいたでしょうね。

ヘンゼルーとグレーテルとお菓子の家は、はっきりと記憶にありながら、飢饉と言う、あまりに現実的な言葉はスッポリ抜け落ちていましたね。昔話は現実に起きたことをネタにして、一変に空想の世界へ導いていくのですからね。大人は戸惑いますが、子どもは面白いと思います。それに、小さな兄と妹が主役ですからね。絵も可愛らしく、森も明るく、色彩豊かな絵本です。

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グリムの「シンデレラ」

グリム原作 ノニー・ホグローギアン文・絵 矢川澄子訳 佑学社 

1986930日 第3刷発行

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【話】母親が亡くなって、まもなく父親は再婚した。継母には二人の連れ子があり、心は冷たく残酷な姉妹だった。義理の妹のきれいな服を脱がせ、ボロと古い木靴を与え、朝から晩までこき使い、ベッドすら与えなかった。かまどの灰の中で寝るより仕方がなかった娘。いつしかシンデレラ(灰かぶり)と呼ばれるようになった。

シンデレラは亡き母のお墓に、はしばみの木を植えた。その木は魔法の木。その木をねぐらにしていた魔法の白バトが、舞踏会に行く晴れ着、靴、馬車から御者まで、すべて揃えてあげた。

最後の舞踏会の3日目に、約束の12時が鳴り始めて、シンデレラは慌てて御殿を抜け出した。王子様が追いかけて、見つけたのは片方の金の靴だけだった。

あくる日、この金の靴にぴったり足の合う娘と結婚するというおふれをだした。金の靴に会う娘は見つからない。シンデレラの家にも、ついに王子様がやってきた。上の姉さんはつま先を切り落として無理やり靴をはいた。下の姉さんはかかとを削って靴をはいた。二人の足から血が流れていることを、その都度、白バトは王子様に気付かせる。

そのおかげで、シンデレラにも靴をはくチャンスが巡ってきて、ポケットからもう片方を取り出してはくと、ぴったりおさまった。

王子様は、やっと舞踏会の美女がシンデレラだとわかって結婚した。嘘をついた二人のまま姉さんたちには罰があたえられた。その罰とは・・・。

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【所感】ペローのシンデレラ版との大きな違いは、仙女と白バト、ガラスの靴と金の靴、ラストに二人の義理の姉たちに罰が降るところです。

継母は実の娘でさえ、つま先やかかとを切り落とすのですから酷いですね。

グリムのシンデレラは、靴より、白バトのイメージが大きいです。意地悪なお姉さんたちの制裁も白バトがしますからね。

グリム童話はドイツでは聖書の次に売れている本だそうです。姉たちのような苛め程度では、日本と同様、法律は何の役にも立たないのでしょうか。せめてグリムの童話でと、思ったかどうかわかりませんが。でも、案外、グリム兄弟が思っていたことかも。

グリムの書く物語が残酷だと感じるとしたら、人間としての感性が備わっている証しともとれるのですが。

同じグリム原作でスベン・オットー(「灰かぶり」訳:矢川澄子)の絵本が、昭和61530日、評論社より出版されています。スベン・オットーの絵は、継母親子の憎々しさが、実にリアルに描いています。どちらも図書館でしか見られない絵本と思いますが、美しさと味わいのある絵です。

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グリムの「赤ずきん」

絵:バーナディット・ワッツ訳:生野幸吉 岩波書店

グリム版の「赤ずきん」は二人とも狩人に助けられて、寝ていた狼のおなかに石をつめてしまいます。目をさました狼が逃げようとした時に、おなかの石が重すぎて倒れて死んでしまいます。

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広く一般的に知られている「赤ずきん」のお話はグリム版です。絵はどちらも素敵ですよ。狼のおなかに石を詰める発想って凄いと思いません?ペローの「赤ずきん」の結末の方が自然だと思いましたが。それでは子どもに受けなかったでしょうね。赤ずきんちゃんは、子ども向けの童話なんですから、生きていて良かったと思うのも自然なこと。

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グリム童話「ルンペルシュティルツヒェン」

Kinnwotumu_2  金をつむぐこびと「ルンペルシュティルツヒェン」

バーナデット 絵 ★ ささき たづこ 訳 西村書店 1994年9月15日 第1刷発行

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【話】むかし、ある所に水車小屋があった。水車小屋の主は、貧しい暮らしをしていたが、美しい娘が一人いた。あるとき、王様が水車小屋のそばを通りかかった時、水車小屋の親父は、娘をつい自慢したくなって、娘は、わらを金に紡ぐことができると言ってしまった。

これを聞いた王さまは、次の日、娘を城へ連れて来させた。部屋に、いっぱいのわらとつむぎ車と糸まきがあった。明日の朝までに、わらを金に変えるよう命じた。できなければ死ぬことになると言われた。

部屋に閉じ込められた。娘は泣くより仕方がなかった。そこへ突然、小人が現れて、わらを金に変えたら、何くれる?と。娘は首飾りをあげるわと。

次の日、王さまは部屋いっぱいの金を見ると、今度は前よりもっと大きい部屋にわらを入れて閉じ込めた。2度目も、同じように、小人が現れて、何くれる?と。娘は指輪と。

王さまは、さらに大きな部屋にわらいっぱい入れて、娘に、今度できたら、妃にむかえると言った。3度目も、同じように、小人が現れて、何くれる?と。娘は、もう何にもないと言うと小人は、王さまとの間に生まれた最初の子どもをくれたら、もう一度、わらを金に変えてあげると。娘はそう約束するより方法がなかった。

娘が王さまの妃になり、子どもができると、小人が妃のところにやってきた。約束どおり、子どもをよこすように言った。妃のどんな条件も受けつけずに、子どもを要求した。けれど、小人は3日の間に、自分の名前を言い当てたら子どもは連れて行かないと。・・・・・・。,

Daikuto この話の内容とよく似たお話が日本の昔話にあります。

「だいくとおのろく」

松居 直:再話 赤羽末吉:画 福音館書店 1962年6月1日発行 

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【話】むかし、あるところに、とても流れの速い大きな川があった。何度、橋をかけても流されてしまう。村人たちは困り、そこで一番名高い大工に頼んだ。引き受けた大工は、心配になって橋を架ける場所へ行って、じっと流れる水をみつめていた。すると、鬼が水しぶきの中から姿を現して、”「・・・・おまえのめだま よこしたら、おれが おまえにかわって、その はし かけてやってもええぞ」”と言った。大工は、”「おれは、どうでもよい」”といい加減な返事をした。次の日、また次の日には、立派な橋が川に架かっていた。鬼は出てきて約束の両目をよこせと大声で言った。

鬼は自分の名前を当てたら、許そうと言った。・・・・・・

娘は小人に助けてもらわなければ、殺されるところでした。小人は悪魔が教えたと言って悔しがって消えてしまいましたが、小人は何故、生きた子どもが欲しかったのでしょう。鬼六の場合は、大工の目玉を鬼の子どもにあげるためでした。・・・・・・。

グリム童話の場合、訳された方により、話の結末が違っています。

「ベストセレクション・初版グリム童話集」

吉原高志・吉原素子:編訳(白水社)には“・・・小人が怒り狂って走って行ってしまいました。そして二度とやってきませんでした。”と結んでありました。

「決定版・完訳グリム童話集」3

野村 泫:訳(筑摩書房)には“・・・すると小人はかんしゃくを起こして、両手で左足をつかむと、われとわが身をまっぷたつにひきさいてしまいました。”となっていました。

どちらにしても小人が憐れ。鬼六にはユーモアがあり、謎かけ遊びみたいな親しみがありましたが。

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「しあわせハンス」

Siawase グリム童話/フェリクス・ホフマン え/せた ていじ やく 福音館書店 19761020日発行

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【話】ハンスは7年働いた給金に金のかたまりをもらって、郷里をめざした。その金のかたまりが、馬→牛→豚→鵞鳥→砥石と交換していく。最後の砥石も水を飲むとき泉に落としてしまう。重荷になっていた石がなくなって心もうきうき。やがて母さんの家に着いた。

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【所感】絵だけでもわかる絵本です。金のかたまりが全てなくなって幸せといえるのは、ただ一つ、命でしょうね。元気に無事に故郷に辿り着いたんですからね。お母さんを見て万歳をしている絵が何よりです。

道中、ハンスが望んだこととはいえ、騙していった人たちの後ろ姿は、仕方がないと思わせています。

けれど、最後のとぎやだけが鵞鳥を抱えて、ハンスを見る横顔を描いています。それは策士の顔?

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グリム『おどる12人のおひめさま』

Odoru1 エロール・ル・カイン:え やがわ すみこ:やく ほるぷ出版 

【あらすじ】

王さまは、12人のお姫さまたちが、夜遊びをしているらしいと気づくのですが、姫たちはベッドで寝ていたといいはります。でも、彼女たちのくつはまるで一晩中踊り明かしたみたいに、ボロボロになっているのです。その謎をつきとめるために、王さまはおふれを出します。

”・・つきとめてくれたものには、ひめをひとり、妻にとらせよ・・”

その謎を解くのは、戦争で怪我をして、お払い箱になったみすぼらしい兵士。

【所感】

この絵本の魅力は、エロール・ル・カイの描いた王朝時代の華やかな衣装をまとった12人のお姫さまと色彩豊かな背景や図柄にあり、お話は二の次になってしまいました。

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グリム「ブレーメンの音楽隊」

バーナデット・ワッツ:絵 ささき たづこ:訳 西村書店

【あらすじ】

老いぼれて役に立たなくなった、ロバ、犬、猫、鶏の4匹は人間のもとを逃げ出して、音楽隊になるためにブレーメンを目指します。道中で夜になってしまい、暗い森で見つけた一軒家は泥棒の家でした。その泥棒を家から追い出す作戦を立てます。ロバが窓枠にまえ足をかけ、犬がロバの背中にのり、犬の上は猫がよじ登り、オンドリが猫の頭にとびのり、4匹はいっせいに声をはりあげて、音楽をはじめました。

泥棒たちは、化け物が来たと思って逃げてしまいます。4匹はごちそうで満腹になって眠ってしまいます。泥棒の一人がようすを見に来ます。・・・・・結局ブレーメンには行かず、4匹とも、そこで暮らしたのでした。

【所感】

この絵本を見ながら、子どもの頃は、感心して、面白いと思っていたんですけど。改めて見ますと、現状の境遇次第で感想も千差万別と言うところでしょうか。年寄りはやっぱり知恵があるねって、子どもに思って貰いたいです。願望込めて・・・。

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