カテゴリー「日本の古い話・物語」の15件の記事

落語絵本「たがや」

Tagaya 川端 誠:作 クレヨンハウス 2006年7月第1刷

あとがきによると、落語の「たがや」↓ですと、

http://ginjo.fc2web.com/29tagaya/tagaya.htm

”人が命を落とす話”になっていることから、躊躇し、考えた末に”命が生まれる話”に作り替えたそうです。そのヒントとなったのが中島みゆきさんの曲「誕生」だそうです。

隅田川にかかる両国橋で、身動きできないところで、花火見物の最中に、たがやのおかみさんが産気づき、大騒ぎに。

その表現がちょっとリアルで、ドキッとしましたが、下町の長屋のみなさんの会話も活き活きして、周りの見物人も、一致団結して協力するところなど、見どころ、読みどころ満載の絵本です。

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「猿神退治」

Sarugami 那須正幹・文 斎藤吾朗・絵 ポプラ社 20035月 第1

【話】むかし、美作の国の(岡山県の北東部)中山神社の神に、人間の生贄をささげるならわしがあった。その神は、巨大な猿の姿をしていて、生贄は若い乙女に限られていた。選ばれた娘家族は、村人たちに見張られ、他国へ逃げることもできずにいた。その年、東国からこの村へ、数頭の犬を連れた若い猟師が、偶然立ち寄った農家で事情を聞いて、娘の身代りになるといった。祭りの朝、中山神社の神官たちが新しい長びつをかついで来て、家の前に置いた。両親は若者に言われた通り、娘の部屋に長びつを運び込んだ。・・・・・・。

【所感】「今昔物語集」(池上洵一編)「美作の国の神、猟師の謀に依りて生贄を止めたる語 第七話」を基に、書き改めたものです。今昔物語は平安時代にまとめられた説話集です。≪アステカ≫の神話伝説にも、人身御供の話が出てきます。1521年にアステカを征服したスペイン人は、当時、人身御供の儀礼を実際に目撃したそうです。巻末に書かれた西本鶏介氏の解説には、説話的フィクションで、日本では実際におこなわれていたとは認めがたいと。生きたまま神様に供える発想は、人間以外の生き物でしたら当然のようにしてきたのですから、究極の貢物が人身御供になるのかも知れません。この猿神退治を読んだ時、「岩見重太郎の狒狒退治」を思い出しました。東映の時代劇で見たような、曖昧な記憶ですが。

文は原作より長く、ストリーとしても面白く書かれています。又、絵も、それに合わせるかのように躍動感のある絵を描いて、楽しませてくれます。

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「アマテラス」世界の神話絵本≪古事記≫

Amaterasu_2 東 逸子:絵 /舟埼克彦:文 ほるぷ出版 1997年4月15日 第1刷発行

【話】「にほんたんじょう」で、男神イザナギ、女神イザナミによってたくさんの神々を生んだ。火の神を生んだときに、イザナミはその炎に焼かれて死んだ。イザナギは黄泉の国まで行き、腐りかけたイザナミの恐ろしい姿を見てしまった。イザナギは、慌てて黄泉の国から逃げた。その帰路で、汚れを落とすために、目を洗うと、太陽の女神アマテラスが生まれ、鼻を洗うと、嵐の神スサノオが生まれた。アマテラスは神々の土地「高天の原」を治めさせ、スサノオは海原を任せた。

スサノオは、母のイザナミに一目会いたいと父のイザナギに頼んだが、聞き入れてもらえなかった。スサノオは姉のアマテラスに会うため高天の原へ向かった。高天の原が近付くにつれ、山は唸り、河は波たち、地なりが轟いた。アマテラスは弟のスサノオがやってくることを察し、武装して待ち構えた。スサノオは、自分の心にうそ偽りのないことを証明したいと。その提案で、・・・。スサノオは自分が勝ったと雄たけびをあげると、本性を表し、暴れまわり、勝手気ままな振る舞いをして、機織りの女を殺してしまった。弟をかばって見て見ぬふりしてきたアマテラスは嘆き悲しみ、天の岩戸という洞穴へ姿を隠した。すると、世の中は闇に包まれた。・・・・・・・。

【所感】日本神話の中でも「天の岩屋戸ごもり」は、子どものころから、知っていました。でも、スサノオの話の部分は、すっかり忘れて・・・。

絵を描いたのは東 逸子さんです。このブログでは「文字のない絵本」15で簡単に紹介していますが、その時、見た絵本「翼の時間」(ミキハウス出版)は、市立図書館に置いてなかったのですが、他の図書館から借りて見ることができました。今回の「アマテラス」も、綺麗です。神話に相応しい絵です。

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「三ねんねたろう」

3nenn_2 ぶん:おおかわ えっせい え:わたなべ さぶろう ポプラ社  19677月第1

【話】ねたろうの家は貧しく田んぼも畑も少なかった。ほんの少しとれたお米を役人や地主に収めると、ほとんど残らなかった。病気の母親が「いまちっとおこめのごはんがたべたいのう。」と言っていたが、ある日、ぽっくり死んだ。若者がねたろうになったのはその年の夏だった。ねたろうがねたろうになって、三年三月たった。ねたろうは、むっくり起きると、村堺を越え、隣村を越え、大きな川まで来た。この川から水をひけばお米がとれると言った。村のものは、こんな遠くから水がひけるわけがないと相手にしなかった。ところが・・・・。

【所感】この話に登場する寝太郎は農民伝説、「厚狭の寝太郎」の再話だそうです。働いても働いても満足に食べられなかった江戸時代の農民。

農民が働かないということは、お役人に盾を突くようなものです。武力も権力を持たない農民の寝太郎のとった行動は働かずに寝るという行為でした。とりたての厳しいお役人をものともしないで、寝続け、三年後、寝太郎は田や畑に水を引く灌漑用水工事に取り掛かります。遠い遠い川から水を引く作業。不可能と思っていた農民も手伝い始めます。その努力の甲斐あって村に水が引かれて、お米も毎年とれるようになるのです。

実は、寝太郎は農民の夢を実現した英雄のお話なんです。絵も言葉も子ども向きに書かれていますけど。

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「ヤマトタケル」

Yamato 那須正幹・文 清水耕蔵・絵 20057月 第1刷 ポプラ社 

古事記の倭建命(ヤマトタケルノミコト)を基にして書かれた物語絵本です。

【話】オホタラシヒコの天皇(すめらみこと)に、オホウスとヲウスという名の二人の息子がいた。兄のオホウスは天皇に対して、時として不遜な振る舞いをとる若者であった。弟のヲウスは、見た目は美しく、やさしいが、力が強く、気性の激しい若者であった。

あるとき、オホウスが食事に出ないので、天皇はヲウスに、兄に正すよう命じた。ところが、五日たっても、オホウスが顔を見せないので、ヲウスに訊ねた。すると、平然と、手足をもぎとり、こもに包んで投げ捨てたと答えた。

これを聞いた天皇は息子のヲウスを恐れた。そして、直ちに、西の方に朝廷に逆らう、クマソタケル兄弟たちを討ちとってくるように命じた。ヲウスはまだ、前髪のとれない若者だったが天皇の命令に従って兵も連れず、御所を出発した。

クマソタケル兄弟を討ち取った時、弟のクマソタケルから、「大和より西で、我々兄弟より強く、猛々しい者はいない。これからはヤマトタケルと名のりなさい」と。

ヲウスは名をヤマトタケルと改め、道中、あちこちの山の神や、川の神を服従させながら、大和の国に戻った。しかし、天皇は喜ぶどころか、ますます恐れおののいた。またもや、次の命令を下した。

「こんどもまた、兵隊もつけないで、東方の十二の国を平定せよとのご命令です。父上はわたしなんか死んでしまったほうがいいと、おもっておられるのでしょうか」と叔母に言った。・・・・・・・・・。,

【所感】景行天皇の皇子の一人、ヤマトタケルは大和朝廷の王権を確立するために、諸国を平定した英雄で、伝説上の人物です。ヤマトタケルの死後、魂が真っ白な大きな鳥になって墓から飛び立ち大空へと舞い上がり、大和の国を飛び越えて、降り立ったのは、河内の国の志幾という所でした。

父親から疎まれ、恐れられたヤマトタケルは、最後に伊吹山の神を退治に行くとき、守り刀をミヤズヒメに預けて出発しています。物語には「さほどの神ではあるまい」そう考えて・・・・。とありますが、ヤマトタケルの心に、無意識なのか、意識的なのか何れにせよ大和に戻る気は失せていたのでないでしょうか。父親から命じられるままに、たくさんの人を殺したヤマトタケルは、死んでやっと救われ、自由の身になったのだと思います。

古事記に“倭建、熊曾を伐つ” 日本書記には“日本武尊、熊襲を伐つ”と、記載されています。同じ人物ですが、物語としては、古事記のヤマトタケルノミコトは過酷な生涯をおくり、日本書紀のヤマトタケルノミコトは、天皇からも愛される理想の英雄になっています。

清水耕蔵さんの絵に誘われて、読みました。カタカナの名前が多くても、絵を眺めて読めば、苦にならないですよ。

参考文献:新装版 日本古典文庫1 「古事記・日本書記」 福永武彦・訳 河出書房新社

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「にほんたんじょう」

Nihonn  岸田衿子・文 渡辺 学・絵 岩崎書店 1967年刊の再刊 2002年4月

【話】古代の人々が、人間はいつ、どこからきたのかと考えたとき、神々の創造によるものと考えた。天の世界の(高天原)からイザナギ、地上の世界(葦原中津国)からイザナミが生まれて、二人は結婚した。その子として日本列島(大八島の国)が生まれた。国生みが終わると、二人の神は、家の神、山の神、川の神と多くの神を生んで、豊かな生命で満たそうとした。けれど、火の神を生んだときに、イザナミはその炎に焼かれて死んだ。

イザナギは火の神の首を切った。その血から剣の神や、雲の神、いくつもの神々が生まれた。それでも、イザナギの気が治まらず、妻を追いかけて死の世界(黄泉の国)に行く。イザナミは死んで腐りかけていても、まだ埋葬されていなかった。黄泉の国は地底にあり、暗黒の世界。イザナギは、ご殿の石の扉を叩いた。

すると、中からイザナミの声が聞こえた。イザナミは、夫に、何故もっと早く来れなかったのかと。すぐには帰れないけれど、こちらの神様に聞いてくる間、この扉を開けないでと言った。イザナギは、待ち切れず、扉を開けてしまった。そこで、見たものは・・・・・・・。

イザナギは黄泉の国から、やっと生きた人の住む国に戻り、汚れた体を洗うため裸になると12人の神様がうまれ、顔を洗うと左の眼から「あまてらす おおかみ」がうまれ、右眼からは「つくよみのみこと」がうまれ、鼻のさきからは「すさのおのみこと」がうまれた。姉は、空の上。次の弟は、夜の世界。下の弟は、海の上。とそれぞれに大事な仕事につかせた。

【所感】開けないでと言われて、開けた。見ないでと言われて、見た。そのタブーを守らなかった結末は、必ず悲劇が待っています。妻の腐れかけた体を見て、恐ろしくなって逃げるイザナギ。逃げる夫に、あなたの国の人たちを、毎日、千人ずつ殺す。ならば千五百人子どもを増やすと返答したイザナギ。

そこにいるのは、妻だったイザナミではない黄泉の国の人。イザナミはどこまでも哀れ。それにしても、古事記に書かれている「日本誕生」、絵を見ながら、楽しみましょう。

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「虫めづる姫ぎみ」

Musi 森山 京・文 村上 豊・絵 ポプラ社 20035月第1

【話】”ある大納言に、ひとりの姫ぎみがいらっしゃいました。”この姫ぎみは、何より毛虫が好きという。その時代、身分の高い女性は、書き眉を作り、お歯黒にするのがきまりになっていた。この姫ぎみは、その決まりはおろか、お化粧すらしなかった。近所の男の子たちと一緒に虫集めに夢中だった。人々は姫ぎみのことを「虫めづる姫」と呼んだ。

【所感】「虫めづる姫ぎみ」は堤中納言物語に収められている物語のひとつです。平安時代の後期以降にまとめられた短編物語集堤中納言という過去の実在人物の名前を、意図的に使ったのか、それとも、単にまとめるためにつけたのかは、定かではありません。

貴族のお遊び(物語合わせ)に作ったお話です。虫好きな姫に若い公達が、近づきます。当の姫はとにかく虫に気を取られて頓着しません。父親から忠告された時でさえ、着物の材料になっている絹は、元をただせば蚕がまだ羽のはえないうちに作りだすもの、と返答をして、ぐうの音も言わせない。さらに、侍女からも諌められると、恥ずかしいことなど何もなく、この世は儚く、いつまで生きていていいことだの、悪ことだのと言っていられない。と、きっぱり言う。平安時代は男性中心の貴族社会です。にもかかわらず宮中の女性に、こんなお話を聞かせる女性がいたんですね。

☆『虫めずる姫ぎみ』は、1977年、国土社から出版された絵本もあります。今関信子・文 白根美代子・絵

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小泉八雲:原作「雪女」

Yukionnna 小泉八雲=作 伊勢英子=絵 平井呈一=訳 偕成社 発行/20002月1刷

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【話】武蔵の国のある村に、年老いた茂作と18歳の若者の巳之吉という、ふたりの木こりが住んでいた。ある寒い夕暮れのこと、ふたりは山から帰る途中で、ひどい吹雪に会った。ふたりは、とりあえず、渡し守の小屋の中へ逃げ込んだ。火の気のない小屋で茂作は横になってすぐに眠った。巳之吉は凄まじい大吹雪に蓑の下で震えていたが、やがて眠った。

巳之吉の顔に雪があたって、驚いて目を覚ますと、閉めたはずの小屋の戸が開いていた。寝ている茂作の上にかがみこんで、白い息を吹きかけている白装束の女がいた。女は、急に振り向き、今度は巳之吉の上にかがみこんで、じっと見入った。女の目は怖ろしい目をしていたが、その顔は美しかった。悪さはしないから、今夜見たことを言ったら殺す、と言って出て行った。明け方になって、吹雪はやみ、小屋に船頭が戻って来た。船頭に介抱された巳之吉は正気にかえった。

その後、茂作爺さんの死んだことに、脅えて、長い間病気になっていた。しかし、あの白い女の幽霊については、誰にもひと言も言わなかった。病気が治ると、木こりの仕事に戻った。毎朝、ひとりで森へ行き、夕方、薪を背負って帰って来た。その薪は、おふくろが手伝って売った。

その翌年の冬のこと、家に帰る途中、両親に死に別れ、これから江戸へ行くという器量のいい娘に出合った。名前はお雪と言った。・・・・・・・。

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【所感】小泉八雲の「耳なし芳一」同様「雪女」も有名な作品ですから、知っている方も多いと思います。伊勢英子さんが絵本化した「雪女」を改めて、絵を見ながら読んでみました。絵のせいでしょうか。雪女がこれほど、切なく、可哀そうに思えたのは。不思議ですね。

もともと、雪女がいなくても吹雪で遭難して、山小屋で寝てしまったら、凍え死んでしまうことは定説になっていますからね。雪女が戸をあけて、目を覚ましたのなら、その時点で助けてもらったようなものです。雪女に。

雪女が、何故、巳之吉の前に現れたのか。誰にも言うなと言っていましたから。そのことも考えられますけど、巳之助の子を十人も産んでいますね。好きになった男を追ってきたとしたらどうでしょう。健気なに尽くしていましたし。女の情念が哀れに映し出されて。それに比べて男の凡庸なこと。

この物語は「KWAIDAN」に収められていて分類上は英米文学なのだそうです。作者が日本に帰化して、題材が日本の伝説・奇談であることから、日本の名作として扱ったと記されてありました。

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「赤神と黒神」

Akagami ぶん・まつたに みよこ え・まるき いり 

ポプラ社<むかしむかし絵本>秋田の民話。

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【話】十和田の湖に一人の美しい機織りの女神が住んでいた。男鹿半島には鹿の群れを連れた笛の好きな赤神が住んでいた。そして、八甲田山のはるか遠くには龍飛の黒神が住んでいた。赤神と黒神の二人の男神に愛された女神。

お互いに「女神はわしのもの」「いや、おれのもの」と争うようになった。このとき、みちのくの神々は、津軽の岩木山に集まって、この神の戦を見物した。戦いは凄まじく、黒神の剣に切られた赤神は野山を血で赤く染めながら男鹿半島の岩穴へ逃れた。

女神は負けた赤神がかわいいといって後を追った。戦いに勝ったが女神はもういない。黒神は石のように重い足取りで津軽の龍飛へと帰った。やっとの思いで辿り着くと、湖を背に向けてどっかと腰をおろした。そして、ほっと溜息をついた。その溜息があまりにひどかったので大地はめりめりと音をたてて裂けてしまった。本州と北海道は離れて、津軽海峡ができた。 

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【所感】巻末の“『赤神と黒神』によせて“を読みますと、採集してきたのは瀬川拓男氏と記されてありました。瀬川氏とは松谷みよ子さんの元夫です。

粗野だが逞しい男性と、やさしい文学青年肌の男性。タイプの全く異なった二人の男性に愛された美しい女性。小説に出てくる登場人物みたいですね。

民話も松谷みよ子さんの手にかかると、文学になり、絵まで添えられると子どもたちにも読める絵本へと変化します。津軽海峡にまつわる神々の物語を知り、またひとつ豊かな気持ちになります。黒神の悲しさと潔さに心も奪われるかも。

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「くわずにょうぼう」

Kuwazu 稲田和子 再話 赤羽末吉 画 ≪こどものとも≫傑作集 福音館書店 19773月発行

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【話】昔、よく働いて飯を食わない女房が欲しいと思った男がいた。そして、その通りの女房をもらった。男はよく働いて飯も食わない女房を見て、蔵に米がはいりきれないほどたまると喜んでいた。ある日、男が蔵を開けてみると一杯あったはずの米俵がごっそり減っていた。

男は山へ行くふりをして天井から覗いた。すると、女房は蔵から米俵を出して大きな釜で炊き、ぜんぶ握った。それから、長い髪をほどいて頭のてっぺんにあった大きな口へ放り込んで食べてしまった。

男は驚き、がたがたと震えた。それでも、日が暮れると、知らん顔して女房に言った。一人暮らしがいいから出て行ってくれと。

これを聞いた女房は、大きな鬼婆になって「みたな、このやろう。おまえも くってやる」と男の首をつかんで、風呂桶に入れて頭の上にのせた。

山には鬼婆の家族が待っていた。「にんげん とってきたぞ。 ほうちょうはあるか、まないたも あるか」みんなを集めて桶をおろしたところ、中は空っぽだった。男が逃げたことを知り、鬼婆は怒りながら男の後を追った。男は今にも捕まりそうになったが・・・・。

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【所感】「くわずにょうぼう」に出てくる男は、奴隷のような女房を欲しがった。その女房が鬼婆だったから大変。にぎりめしをお手玉みたいに放り投げて「ほらくえ それくえ」と言って、けたけた笑うなんて痛快です。

それに、鬼婆だって、家族がいるんですよ。でも、男は人間の仲間ですし、それに、散々怖い思いをしたのですから、男が窮地に立たされた時は、応援するしかありません。そして、あわやと言う時、男の冷静な観察と知恵で命拾いします。

昔話に出てくる鬼は、いつも敵役なのですが、この鬼婆も怖いけど、どこか憎めない。それは、絵を描かれた赤羽末吉さん(19101990年)が鬼に愛着を持っていたからだろうと思います。絵本のもう一人の主役として、怖くても、親しみのある鬼を好んで描いていたように思います。

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